どうもこのところ、ロシア音楽、ロシアの指揮者の公演拝聴が続きます。
先日のロジェストヴェンスキーさんも81歳。そして本日のフェドセーエフさんは80歳。
マエストロお二人ともお若いころから音楽シーンで活躍、ゆうに現役生活60年というところでしょうか。
素晴らしいです。
本日はサントリーホール公演。
オーケストラは旧モスクワ放送交響楽団、現在はチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラという名前で活動をしている。先日拝聴したロジェストヴェンスキーが1961年から1974年にかけて音楽監督を務めていらっしゃる。そのあとを引き継いで1974年から現在までフェドセーエフが率いている。
今日はオールチャイコフスキープログラム。
・エフゲニーオネーギンより、3つの交響的断章、イントロダクション、ワルツ、ポロネーズ
・弦楽セレナーデ
・交響曲第6番 悲愴
冒頭から「これぞロシア」の弦楽器の響きに魅了された。
弦楽セレナーデは、ロシア語の美しい響きで物語っているような、印象。
悲愴は、先日のロジェストヴェンスキーとは全く性格を異にするアプローチ。
しかしやはり弦楽器の美しさと底知れぬ響きの厚さ豊潤さに引き込まれた。
またテンポ設定も、まさに作品の真髄を見通していて どのように動いても本質はぶれないというアプローチ。
その振れ幅の大きさは、オーケストラとのコミュニケーションの歴史も背景にあると感じた。
アンコールは「十八番」を期待通りに聞かせてくださった。
待ってました!というのはこのようなことですね。(ツアーはまだ続くので曲目は内緒に)
言語と音楽の関連は明白ながら、西洋音楽の祖国で使われる言語とまったく言語の文化を異にする日本語を使っている我々は、その本質を音楽的なところで語り、感じ、奏でることは簡単なことではない。
音符という限られた記号の裏側にどれほど世界が広がり、また深くその音一つ一つの意味が理解できるか、
そこが本当に大切なことであるということを、今回もじっくりと感じ そして音の言語を十分に味わった。
ロシア音楽を聞いたり演奏すると、自分はいつも子供時代の空気を思い出す。
特に札幌に住んでいたころの時間。あのころの自分を取り巻く空気、部屋の風景、家族の日常、あの当時考えていたこと、演奏していた曲などなど・・・・瞬間的に浮かび上がってくる。
父の仕事の関係で、時々我が家にもロシア人の方が見えていた。そしてロシア語関係の先生方も度々集まり、そこではロシア民謡の合唱が始まる。ピアノは・・・・父がたどたどしく弾くことも多かった。
小学生だった私は、大人の夜の宴会の傍らで 時々母を手伝ったりしながらおつまみをつまみ食いしたり、
伴奏の真似事もしていたように記憶している。
ロシアからの古いレコードのお土産は今も千葉の実家にある。
自分は子供の頃はチャイコフスキーとショスタコーヴィチを聞く日々で、中欧のクラシックの大家の作品は後から知った口だ。若いころはロシア音楽をむしろ専門的に追及したいと思っていた。
しかし
現在の自分はそのお隣の国の音楽を研究演奏することをライフワークとしながらタクトを持っている。
面白いもんだ。
それでも自分中の一部はロシアを向いていることは実感している。この状態は一生続くだろう・・。
今日の公演も母とともに聞いた。お弟子様が公演を教えてくれた。
実は客席は非常に空席が多く、大変驚き大変残念だった。
この秋の音楽シーズン、日本にはあまりに多くの来日公演が重なっている。
それもきっと原因の一つなのだろう・・・
東京の音楽界、世界の音楽が集まる都市という顔は まだ続くのだろうか。
日本の状況も変化してきた・・・・・・・・・・・・・
コメント
コメント一覧 (2件)
先生、御無沙汰しております。
12月には横浜に伺います。
これから、先生の忙しさが増しますがお身体に気をつけて御活躍下さい。
応援しております!
たかひろママさま
お久しぶりです。お元気でお過ごしでしょうか?コメントありがとうございます。12月にご来場いただけるとのこと、うれしいです!またメールで連絡させていただきます。
どうぞご家族の皆様お元気で!!