平和祈念式典

8月6日、67回目の平和祈念式典が広島で開催された。
昨年この式典に新たな意味が加わったが、1年を経てこの広島での「平和宣言」の重みと意味は、
どんどん重く深くなっていくように感じている。

黙祷。
平和祈念式典。
母の生まれ故郷、浪江町の町長が出席されているという。
人類の手
に余る「放射能」に全世界が正面から向き合うためにも、日本は誰よりもどの国よりも多面的に「平和」と「安全」について考え、行動しなくてはいけないと思う。
沖縄の平和祈念施設で「これが戦争なのだ」という一文を何度も見た。戦争は民が起こしたものではない。望んだものではない。

国家というものが人間の叡智を忘れ、判断を誤り、相互理解の話し合いという人間だけができる素晴らしい能力を使わず引き起こしてしまった もっとも愚かな行為―戦争。 
現在もその火種がたくさんある。
炎を大きくしたがる人がいつの世にも必ずいる。
もっとも安全なところにいて「煽る」人たち。
どうか・・・その人たちも自分の「内なる声」を耳をすませて聞き続けてほしい。
「平和」の作り方、20世紀型から卒業して21世紀型へのバージョンアップを
どこよりも実践できそうな国・・・日本、だと思うの
だけど。

地球上のパワーバランス、
地球資源のシェア
異なる想いの相互理解

同じ土俵に立ち話し合いをすることがまだまだ難しい21世紀初め。
難しくさせているものがなんであるか、もう地球上のかなりの人が知っている。

空想物語のようだが、人類共通の敵というものこそを仮想敵と見定めた協力体制でも作らない限り、
簡単に相互理解はできない状況に、痛みを伴う歴史の日々と国家元首たちはしてしまっている。
民ではなく。

戦地で心を痛めて帰国する兵士たち、
「戦争だから」と言い聞かせて本意でないことを行う兵士たち。

戦うのであれば、それは自己の可能性との戦い、
そして能力を持つ者同士が、競い合う戦い、
21世紀の戦いはそれだけで良しとしなくては、地球はぶっとぶ。

自国の利益を優先させても、利益を生むためには他国の存在が必要。
世界のリーダーたちよ、どうか 広い視野と柔らかな心を持ち続けて

3度目の世界の戦火は、
必ず地球を殺す。

 

 

コメント

コメントする

目次
閉じる