自然の中に

東日本大震災から1年目の本日。
アンサンブルフランのリハーサルがありましたが、午後2時46分、全員で黙祷をささげました。
報道によると日本全国、また世界でも様々なところで同時刻に黙祷がささげられたようです。
その祈りの大きさ強さは、自然の脅威を超えて前向きなエネルギーへと変えてゆくことをさらに祈り願う気持ちです。

N響アワーで仙台フィルの皆さんのこの1年が特集されていました。
昨秋仕事をご一緒しましたが、本当に皆さんの継続する音楽活動の力は素晴らしいです。
被災されているメンバーの皆さん、ご自身の日々の生活やご家族の心配など抱えながら、
本当に忙しくこの1年活動されていたことと思います。
その中にあるメンバーの皆さんの心、そして事務局、支える組織の皆さん、すべての力がきっとこれからも
杜の都に素晴らしい響きを生んでゆかれることでしょう。
メンバーの皆さんのインタビューの言葉にもありましたが、「音楽をする意味」、
震災後多くの音楽家がそのことを心にもちながら過ごしてきていると思います。

震災で浮き彫りになった日本の問題、それはこれまで見えていなかったことではなくて、
私は見ないで過ごしてきたことだと思っています。
潜在的な危機感を持って警告を発している人はたくさんいて、個人的なレベルでも「大丈夫なの?」と思っている人、発している人、書いている人、いたのです。
想像力をもって少し考えれば、日本の危うさはずいぶん昔から存在していたこと・・・・
それを見ないで背を向けてきたことへの責任は、やなり大人が背負うべきだと思います。

この震災を機に、子供世代がとってもしっかりしている姿を我々に見せてくれることが多くなったと感じています。人間は役割を得ると、目的を得ると強いです。ヒト細胞がフル活動始めます。
もはや、なんとなくは過ごせない・・・・
そんな目に見えない空気は子供世代にも十分に伝わっているのではないでしょうか。

大人自身が現在大いに迷走中の日本。
子供たちに愛想をつかれる前に、「よいこと」の連係プレーを創造的にはじめてゆかないと
国自身が疲れ切ってしまって歩けなくなるような気がしています。

「天をうらまず・・・」の答辞を述べた生徒さん、その言葉の覚悟と悟りと強さは大人への直球だと思う。
そういう直球を投げる子供たち、若い世代をちゃんと受け止めてその想いをはぐくむ大人の強さとたくましさと、
大きさが試されている震災1年目。

我々の世代が10代20代を過ごした時代とは、まったく違う時代が現在始まろうとしていることを
人生後半の大人たちが想像力をもってうけとめなくては いけない。

天をうらまず・・・・、その通りだと思う。誰にも止められない自然の脅威であるならば、
その中で生きる人間が変わらなくては・・・・。
脅威と共存できる生き方の姿を、もっともっと自然を見つめてその中に飛び込み学ぶ必要がある。
それは実際に飛び込む方法と、その脅威を知っている先人が残した遺産から学ぶ方法も・・・

芸術文化、文学・・・・そこに生産性を認めない人もいるけれど、
そこには先人たちの深いメッセージがある。それを受け取る方法は言葉だけではなく
それぞれの有形無形のメッセージから言葉以上の深い体験を得ることもある。
それが人間に許された伝達の方法。
音楽作品の中にも、どれほど自然の姿が人間に深くかかわってきたかを教えてくれるものがたくさんある。
その超えられないものへ、人間がどんなどんな姿勢でむきあってきたか・・・音を見れば理解できる。
そのことをちゃんと伝えてゆくことも音楽家の役割だと思っている。
癒しもあり、慰めもあり、楽しみもあり・・・でも音の世界はそれだけではない。
あらゆる精神活動と結びつく。

ここから1年、何をしてゆくか・・・何ができるか・・・
 

多くのものを、多くの大切な命を、多くの心を失ってしまった方が歩き出そうとしていることに、
具体的な支援を継続すること、
明日を担う子供たちが育つ環境を育て応援してゆくこと、

自分の役割は相変わらず微々たるものだと思うけれど、
小さくとも続けてゆく・・・・

今日は何度も浪江町の映像が映った・・・
母も「想像以上の被害だ」と言葉を発していた。
私も見たことのある街並みがあった・・・誰もいない。

抱えている問題が大きすぎて無力感を覚えることも多いけれど、
一市民としては、できることをやってゆくという積み重ねしかない。
震災1年のこの日を全国で共有したことの意味は、これからの1年の歩み方がカギを握る。

現在パリのユネスコ会場で震災復興祈念コンサートが開催されている。
フィンランドでもヘルシンキで音楽関係者が集まり公演が開催される。
あいにく駆けつけられないのが残念だ、

多くの人の視線と心がまだまだ長い年月注がれ続けないと復興はできない。
政治だけでも解決しない、日本丸の乗船員みんなの問題共有意識が何より大きな力になる。

最後に、
犠牲になられた方々の魂の安らぎを、今一度静かに祈りたい。
34万人を超す避難をされている方、さらに多数の被災された方、心よりお見舞いを。
個人的には立ち入り禁止区域のため住まうことができなくなっている家から避難している伯母一家の状況が、
少しでも早く解決の光が見えることを祈り願うばかりです。

 

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 先生のおっしゃるとおりです。文学、芸術文化に生産性がないと価値を認めない一握りの人種が、増殖しているよう思います。これらの方々に欠落しているのは、想像力の欠如です・目に見えるものにしか価値を認めない、精神性の低さです。「人間は考える葦である」パスカルの箴言は真理です。そして他人の幸福ために祈れる人、そのような人の連帯を一人でも多く作ることが、未来を生きる子孫へのいまをいきるわたしたちの責任と考えます。

  • >佐藤様
    コメント恐縮です。人間のいる意味というものは人間が定義できると思います。でもヒトという生物のいる意味というのは宇宙の歴史の中でほんの偶然なのでしょう・・・文字通り人の間にいてその中で考え育ち続ける生き物であり続けたいものです。

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