Kiitoksia Maestro Paavo Berglund

sibelius ja paavomini.jpg

Paavo Berglundが亡くなった。82歳。1929年のお生まれ。

http://yle.fi/uutiset/kulttuuri/2012/01/kapellimestari_paavo_berglund_on_kuollut_3206628.html
日本語表記が難しいお名前だ。ベルグルントと表記されることが多いが、そのように発音してもフィンランドでは通じない・・・。ベルィント、ベリント・・・・正確に表記ができない。
シベリウスの録音といえば、このマエストロだった。
フィンランド人の指揮者は複数名シベリウスの交響曲全集を出しているが、Berglund先生の録音は格別なものがある。シベリウス観が変わったという人も多い。自分のフィンランドの師匠オスモさんはBerglundの教えを受けている、正確に言うととても強く影響を受けていると思う。
スコアの校訂を行っていることでも知られている。現在発刊されているブライトコプフの全集の前の段階、Hansen版のSibelius Sym.5にはBerglund先生のコメントが掲載されている。それはごく一例。

私はラハティ響での研修のときに幸運にもマエストロにお会いできた。
2000年10月20日にラハティでの1年間研修が始まった。その年の年末12月14日の定期演奏会にマエストロが久しぶりにラハティ響に客演。それは10年単位の久しぶりという時間が空いていたそうだ。リハーサルはその週の月曜日12月11日から。忘れもしない。前の週、オーケストラのみなさんはパート譜を自宅に持ち帰った。楽譜棚が空に近い状態になっていた。それほど恐れられていたマエストロだった。

当時70歳だと思う。この演奏会のプログラムは ベートーヴェンSym.8 と チャイコフスキーSym.6.どちらもラハティ響は決して演奏回数が多いわけではなかった。でも初めてというわけでもない。それでも皆さん準備を怠らなかった。そして迎えたマエストロリハーサル初日。私も研修生として客席に陣取り拝聴。フィンランド語2か月目のお粗末な有様の自分だったが、必死でマエストロの言葉を聞こうとしていたのを覚えている。
その時のリハーサルの張りつめた空気、まるで厳しい学校に入学したかのような雰囲気のステージ。
しかし終わってみると何とも暖かな穏やかな時間が流れていた。
マエストロがすっかり好々爺という雰囲気になられていた。(私は以前を知らないが・・団員の言葉による)
リハーサル後の楽員の拍子抜けした表情は忘れられない。

マエストロの厳しさは耳の良さにあると思う。素晴らしき録音の数々、シベリウス解釈の明晰さはすべて耳の能力の高さ、それを分析することの鋭さにあると思う。そんなマエストロがどの作品に対しても楽員に厳しい姿勢を求めたのは当然だと思う。厳しいマエストロ・・・そこから数々の名演が生まれて後世に残る録音が生まれた。

そのマエストロとの初めの出会いのとき、勇気を奮ってご挨拶をさせていただいた自分におっしゃったこと、
「どうしてラハティに来たの?ヘルシンキではなくて?」 そしてなんともチャーミングな表情でにやっと笑われた。意味深な発言だったと思うけれど、自分にとってはその時ラハティ響でなくてはならなかった。ヘルシンキの優れた音楽環境ではなくて・・・。そこでしか作れない響き、そこでしか生まれない音楽がラハティにあったから。
あの一瞬の出会いを一つの宝としている。
そのあとも何度かラハティ響には客演されているが、時折キャンセルもあった。
自分がきちんとリハーサルと演奏に立ち会えたのは、この初めの出会いだけだ。

シベリウス演奏の代名詞のおひとりであるBerglundマエストロ。
その素晴らしい演奏の数々に心から尊敬と感謝を。

lahti bookmini.jpg これはラハティ響のいわゆる「スケジュール表」 2000年当時のものです。この記録で正確な日程が判明しました!

マエストロのご冥福をお祈りします。

今日は一日ほとんどフィンランドのラジオ、YLE-Radioを聞いていました。聞きながらの事務作業ですが・・
この先の企画の構想を練ったり、選曲を考えたり、名刺を新しく作成したり、新しいPCノートの調整をしたり、昔のPCノートのデータ整理をしたり・・・楽譜以外にもいろいろとありますな・・・・。
そのラジオ放送でマエストロ訃報が流れたとき、一瞬聞こえてきたのはSibelius Sym.6の第1楽章でした。

 

 

 

 

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