第18回アイノラ交響楽団定期演奏会終演

アイノラ交響楽団第18回定期演奏会、お陰様で無事に終演しました。厳しい状況下ご来場くださったお客様には、心より感謝申し上げます。そして感染防止対策のため尽力くださった関係者の皆様、ホールのご担当者様、団員の各担当係の皆さん、本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
また今回の公演には、公益財団法人三菱UFJ信託地域文化財団様の助成を頂きました。深く感謝申し上げます。

昨年の延期公演でもある今回、年1回の公演のアイノラ響としては同じプログラムを2年かけて取り組んだという結果となりましたが、リハーサルは2年分行えたわけではなく、リハーサルの中断も度々。それは、どの活動団体も同様の状況で今現在の公演を迎えていることと思います。
コロナ下いろいろな事情のため参加できなかったメンバーもあり、新たなメンバーも多く迎えという中、ギリギリまで階段を全員で昇ってゆくためのリハーサルが続きました。
アイノラ響の選曲委員から提示されたこのプログラムは、なかなか内容豊富であり現実的にかなり難しいものでした。特にSym.2を先に演奏して、後半にreligiosoのシベリウス後半生の境地を紡ぐという流れは、普通であれば却下されてしまうものですが、ここにこだわるアイノラ響の想いが最終的に実を結んだと思っています。作曲家、作品への愛情と理解ということは、卓越した技術を超える重要なものだと思います。
もちろん演奏を支えるための日々鍛錬や、合奏でのお互いを知る時間、合奏に参加するための個々の準備等々当たり前のこともあってのことです。その意味では2年間の準備があった・・と言っても良いかもしれない。しかしシベリウスの楽譜をご存じの方は理解いただけると思うのですが、この作曲家は個人練習ではわからないことが山盛り。全体の音が揃ってはじめて見えることがとても多い。だから合奏の時間は全員全身を耳にしてお互いの音を知る、お互いが何を考えているのか、何のためにその音があるのか、どういう音を必要とされているのか・・非常に繊細に書かれているスコアをまさに全員で紐解いてゆく時間です。一つの旋律をセクションやパートで受け継いで作り上げる手法、一つの和音をディビジョンという分割の方法で演奏、なおかつそれを細かな動きで同時進行させること、これを美しく作り上げるのは技も必要ですが時間も必要。
ピアニストの和音をつかむ指が、弦楽器パートの中で細分化され担当して、それが均等に同じ動きをすることをイメージください。和音の転回形が変わってゆくので、自分が三和音のどこの位置にいるのかも把握しながら、微妙な音程の調整も必要。今回リハーサルに弦分奏の比重を多くしたのは、それが理由です。一方第6番の金管楽器(Tp,Tb)などは、楽譜は真っ白!待機時間の長さは大変多く、突然のロングトーン、突然のP、拍の裏側でひそやかに始まる音、等々自分は何のためにこの音を出しているのかを理解するまで居場所がない!という気持ちにもなりそうな楽譜。しかしアイノラ響の金管チームの皆さんはこの世界への理解と愛情が深いので、忍耐強くその静かな音に対しても取り組んでくださいます。今回特に前半の第2番と後半の世界は別物でしたね。

その交響曲第2番、1月に名古屋シンフォニアでも指揮の機会をいただきました。この時はメインのプログラムとしての位置づけ。また弦楽器のサイズが今回のアイノラ響と倍くらい異なります。ちなみに今回のアイノラ響は様々な事情により低弦の方が人数が多めというバランスになっていました。
熱量が高く、内に秘めるドラマ・パッションも大変に強い作品なので大きな編成での演奏が理想的だと思いますが、アイノラサイズでの取り組みもまた別の角度からこの作品を紐解ける面白さがありました。2番と6番の世界は確かに異なりますが、実は6番に繋がる伏線、要素はすでに2番にも満載。その部分に視点を置いて取り組むと、柔らかな歌、哀しい魂、慟哭、希望、祈り等々シベリウスが「魂の告白」と後年発言した意図が明確に出てきます。個人的には7曲の交響曲の中で、難しいのは2番!と思っています。難しさの意味も多義的ではありますが・・・人気曲で演奏回数も多いながら、自分は手強いぞと感じています。近い時期に連続して指揮したことで見えてきた世界も個人的にはありました。自分の中の問題ゆえうまくゆかない部分があるという再認識もあり、最後までそれは自己葛藤。本番はおそらくそれが現時点で解消した状態になっていて、一つのドラマを初めの一振りから最後まで途切れずに紡げたと思います。この作品のいびつさから逃げてはいけないこと、喜びと悲しみの表裏が一つの音の中にも存在していること、これからも深く掘り下げ続けたいと思いました。
人数の少なめの弦楽器、特にヴァイオリンセクションがホール練習に入り、どんどん響きが伸びて豊かになっていったこと、嬉しかったです。安定と自浄能力の高いホルンセクションに支えられたアンサンブルを今回も作れたことも有難かった。華やかなものはないけれど、大切なシベリウスの言葉を語り繋ぐ木管セクション、本番も数々の味わい深いソロが聴けました。
直管金管楽器セクションも、持久力を必要とする中、美しく哀しいファンファーレ、ソロ、影のハーモニー、節を作るリズム等々多様な役割をそれぞれの音色を磨き作り上げていました。そして今回皮のヘッドで取り組んだティンパニーも、いつもながらの思索に満ちた音で全体を支えていましたね。オール・キートスです。

チェロのトップ&ソリストの棗さんと

そして後半、今回の公演のテーマReligiosoの想いがいずれも深く込められている作品が続きました。
まずは、二つの厳粛なメロディー。以前ヴァイオリンの佐藤まどか先生のソロでも演奏したことがあるアイノラ響。
この曲はチェロでも演奏できるようになっています。アイノラ響のチェロトップ奏者として長年パートも弦楽器セクションも全体も牽引している棗年紀さんのソロによる演奏に取り組みました。シベリウスの管弦楽作品には比較的オーケストラの中でありながら、チェロのソロを含むものが多いのです。これまでも「トゥオネラの白鳥」はもちろん、「森の精」の長いソロ、「交響曲第4番」の深遠なソロ等々折々その力を発揮してくださいました。満を持してオーケストラ側から棗さんをソロとしてこのプログラムを!という提案。リハーサルもじっくり取り組むことができました。常にシベリウスの楽譜を丁寧に厳しい視線をもって読みリハーサルに臨んでいる棗さんです。シベリウスの世界をしっかり体現する演奏だったと思います!本当にありがとう!メンバーも嬉しかったと思います。

そしてそのあとの交響曲第6番ではチェロトップの椅子に座っていただきました。
今回上記の2曲の1曲目「聖歌」と交響曲第6番のハープには、篠原英子先生にお願いできました。このところハープを必要とする曲の時は、いつもお願いしています。
交響曲第6番の特徴と難しさは上記でも触れましたが、ハープにより導かれる部分の多い作品です。前日のホール練習から加わっていただき、様々なことが引き締まり良い流れが生まれたのは言うまでもありません。感謝です!

当日のプログラムパンフレットのコラムでも書かせていただきましたが、私は第6番の最後の音は、曲の冒頭に戻ってゆくと思っています。そのため第7番と連続して演奏することは、できない・・・。輪廻転生という言葉が適切か不明ですが、命がつながってゆくこと、だれにも終わりがあるということ、儚さ、その中にある強さ、ただ悠然とそこにあるというものの存在、美しさとそれが壊れ行く瀬戸際の時間、彼岸の境地、命の慈しみ、等々言葉は尽きませんが隙間の多い楽譜の中に込められた音の言葉は山ほどあると感じています。第6番の演奏回数は多いのですが、演奏の難しさの中でなかなかそれを描き切ることも難しい・・・。しかし昨日はこれまでの中で一つの形が明確に作れた演奏だったと終わってみて感じました。それはアイノラ響のメンバーの作品への共感度の高さも大きな理由の一つ。細かなリハーサルへの忍耐も一つ。とにかく様々な要素が最終的に実を結べたかと思います。もちろん越えられない壁も難しさも残りましたが・・・メンバーへの感謝は大きかったです。

そして!これで終わりではなかった昨日。
フリーメーソンのための音楽より「行列聖歌」を最後に演奏しました。原曲は歌が入ります。A-Durの高貴な響きに満ちた、シンプルなしかし荘厳な響きを維持した作品。音符は難しくないながら、決してイージーな作品ではない。
儚い6番の世界から、確信をもった想いを全員で奏で、アンコールの「アンダンテ・フェスティーヴォ」に繋がった流れ。
この世界的に困難な状況の中、人間として何をするべきか、どう生きるか・・・私自身も一つの道を確信したようなそんな定期演奏会でした。

メンバーの皆さん。今回お手伝いいただいた皆さん。ハープの篠原先生。トレーナーの先生方、アシスタントを務めてくれた佐伯先生。皆さん本当にありがとうございました。
そしてあの会場に足をお運びくださった皆さま、ひと時時間をご一緒できたこと何より嬉しく思いました。
そして本当にありがとうございました。

アイノラ響は次回2022年4月3日(日)を予定しています。内容は後報。
私自身シベリウスとの時間は秋以降になります。アイノラ響以外の初共演楽団ともシベリウスプログラムが待っています。
しばらく中欧の作品とともに歩きます。

Kiitos Paljon!!


よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

目次
閉じる