卒業おめでとう㊗️

本日は国立音楽大学の卒業式。ご卒業おめでとうございます!
最後の一年がこんなにも厳しく悩ましく未曽有の日々となったこと、本当に大変だったと思います。
しかしそれを乗り越え、その環境の中で何かをつかみ取り、学び続けた皆さんの力は、きっとこの先の道に大きく生かすことができます。順風満帆の人生なんて、ほとんどありません。壁があり、困難があり、思うように行かぬ歩みの中に本当の生きる意味が潜んでいると思っています。約束された道なんてある方がおかしい。道は自分が歩いて作ってゆくもの。そのほうが楽しいでしょ?
列席はできませんが私自身も卒業です。
皆さんと一緒に大学での時間を噛みしめながら巣立ちます。

これまでは「何かあったらいつでも大学に話に来て!」と送り出せましたが、今年はもう その言葉は言えません。
でも大学や、学びの師や、学びの友はきっと皆さんをいつでも歓迎しますよ。だから多くの家族ができたのだという気持ちで、卒業してもどうぞ訪ねて行ってください!(早くCOVID-19の影響が立ち去りますように!そうしないと入校も大変なので)

卒業するということは、何かを学び取った、何か自分の力をつけたということ。ここから先は社会においてその力を思い切って試してくださいね。学びを続ける皆さんも、更なる高みを目指して歩み続けてください!
社会構造上この先はずっと、皆さん若い世代が圧倒的に少ない時代になります。そのことが何を意味するのか、私自身身震いする想いを感じています。すべてを若い世代に負うような世界にはしたくないと個人的には強く思っています。そして若い世代が考える未来像を応援する年配者でありたいと強く思っています。いろいろな分野で、大きな世代交代があることを心から願っています。

学生オーケストラとのご縁も多いので、10代、20代の皆さんと話す機会も多い自分です。その中に聞こえてくる話は、とても夢ある温かなものが多いのです。とても優秀で勉学に熱心で繊細で優しく、そして互いを大事にする気持ち、そんなことをここ数年とても多く感じていました。それは裏を返すと、お互いの遠慮や距離、またデリケートで世の中を渡る力強さが不足等々言われることもあります。その両面をそのまま受け止め良い方向に何かをクリエイトしていくための支えや地面になってゆきたいと、二度目の卒業式の日にあらためて思う自分です。

大学の指揮研究会合宿!?

アルバムから懐かしい写真を見つけました。大学で入部していたサークル、「指揮研究会」の合宿の一コマ。
夜のお楽しみですね。後列左端に私がいます。ロングヘアでしたね。そして大変たくましい体格!このサークルでの「桐朋メソード」指揮の学びが現在に繋がっています。厳しく基礎を叩き込んでいただいたことは本当に感謝しています。中学高校時代吹奏楽とオーケストラで指揮の真似事をしていましたが、その遊びの範疇から学びとなり、もう少し学びたいと教員採用試験をキャンセルして桐朋学園にて二度目の学びを、そして・・・今に至るです。遠回り、紆余曲折の現在の道です。この道も決して安泰ではなく今もって定まらずこの先も不明です。何の保証もありません。それでもやはりここを歩き続けるしかないという自分を作っていったのは、大学時代の日々だったと思います。

前のブログでも書きましたが、私は学びのフレキシビリティを日本にはもっと広めるべきだと思っています。歩き方は一つではない。何度でもやり直せるという社会を早く作ってゆきたい。教育科出身です。習熟度とか学習到達なる言葉を耳にしていました。それを本当に生かして、一人一人が自分にあったペースで学びを進めることのどこが悪いのでしょうか。
他国でみられる、飛び級・・・これは日本にも少しずつ入っていますね。逆に進級させないということ。学びが遅い子供や学生には、しっかり時間を与えるという方法、これがとても必要だと思っています。何もかも一律。その具合の悪さ、気持ち悪さを子供のころからずっと感じていました。同じスピードで歩めないことがそんなに悪い事なのか・・・。とりあえずの卒業なるものの弊害の方が恐ろしい。父が大学の教員であったことから、大学生というものがどんなものなのか・・・子供の目で見ていました。「大学教育システムが変わらなきゃだめだね・・」と生意気言っていたのはそのためです。

卒業することの意味・・一人で社会を歩いていく。そのことの大変さ、怖さはその社会に入って初めて感じるものかもしれない。自分の選択が間違っていたと感じる若者もいる。自分に不足がまだまだあると気が付いた人もいる。新たなことを学びたい人もいる。すべて、教育の現場で自由に受け入れればよい。
すべてに押しなべて及第点をとらないと学年が上がれないというシステムも、もはや疑問です。得意を伸ばす。苦手はゆっくり克服でも良いでしょう。

まるで学生服のようなリクルートスーツを着て、「会社」「社会」という次の学校に進級するようなシステムが、早くなくなることを私は思っています。それには受け入れ側の社会、会社の精神が成長しないと変わりませんね。

これからの音楽大学の在り方も大きく変わってゆくでしょう。大学が何をするべきか、去る自分が責任もって話をできる内容ではない。それでも、今のままではダメだということだけは感じています。
しっかりした基礎力の徹底は忘れずに。これは私個人でもそう思います。根っこがあれば、いつでも芽は出ます。
根も張れず、かろうじて地面に刺さっているだけの状態で大きな花をつけても、一度咲いて終わります。世間は花をめでますが、その下にあるものを自分で育て続けなくてはいけない。その覚悟だけはもって、この先も歩いて行ってください。これは自戒を込めて、また自分の未来への言葉でもあります。

力強い未来を、応援します。必ず誰かが見ていてくれます。しぶとく、じっくり、ゆっくりと、慌てずに、歩き続けてください!一緒にそうしましょう!おめでとう!

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