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国立音大正門

本日、学長武田忠善先生に最後のご挨拶に伺いました。国立音大での非常勤講師を退職しました。

20度を超す気温を記録している今週、いよいよ音楽大学も年度終わりです。母校である国立音楽大学は3月19日が卒業式。この日程は変わりません。そしてその前に卒業演奏会。成績優秀な学生たちが各専攻から選抜されて演奏します。自分の関わる管楽器・打楽器では今年チューバ専攻の学生が3人も卒演に出演することに嬉しい驚き。このところチューバ研究室の元気が良いのです。低音がしっかりしていることはオーケストラも吹奏楽も非常に良い事。今後も切磋琢磨して素晴らしい低音の支えを聞かせてください!

ということで、本日は1994年に初めのご縁を頂いて翌年から非常勤講師として勤めた母校、国立音大にお別れのご挨拶に伺いました。演奏に関わる部署には昨年末の公演の後にご挨拶させていただきました。本日は在学中から何かとお世話になっていた、教務課、総務課、そして図書館へ。本当にお世話になりました。いろいろご迷惑もおかけしました。そして最後に現学長、武田忠善先生にお目にかかり締め。これにてお開き・・ならぬ、お別れです。
自分の卒業は1984年3月。その10年後に初めてブラスオルケスター公演の客演の機会を頂きました。当時のブラスオルケスターは、大阪泰久先生の御指導による授業。時々大橋幸夫先生も顔を出してくださっていました。と言っても管打楽器の学生全員暗黙の必修という授業形態としてはあいまいな状態でしたが、熱量の高い木曜日3コマ連続の授業でしたね。藤田玄播先生の編曲による、R.Strauss「ツァラトゥストラはかく語りき」の初演という機会をブラスオルケスター定期で頂いたのが初めでした。そして翌年から非常勤講師としてこの授業に関わることとなり、以来四半世紀・・・。その間はBオーケストラの公演や、Aオーケストラの一部公演や、大学院オペラ前期授業など担当することもあり、いろいろなことに携わっていましたね。そして最後の二年間は指揮法研究という講義授業を始めて持ち、また吹奏楽指導法研究というものも1年間だけ担当。客観的に自分の仕事を見て、学生たちにどのように伝えたらよいか考えさせられたラスト2年間でした。
吹奏楽授業は、はじめはブラスオルケスター(夏)と、シンフォニック・ウィンド・アンサンブル(冬)の2つの公演のみで、基本的に全学年が関わっていました。もっともほとんど乗り番は3,4年生となります。その中で秋に「ウィンドシンフォニー」なる名前で、1,2年生の学生で編成されたものを4年生が指揮をするという公演も間に挟んでいました。昔の「1年ブラス」ですね。大学のカリキュラムはこの四半世紀の中で大きく変化しました。変わる前のブラスオルケスターでは様々なシリーズを先生方と相談しながら繰り広げていましたね。ヨーロッパの吹奏楽作品を各国フューチャーしてプログラミングしていたのも非常に楽しかったです。
編曲作品も引き続き様々手掛けました。また特別な編成のオリジナル作品も記憶に残っています。ヘンデルなどもダブルリード楽器を24本で演奏したことは、貴重な機会でした。ベルリオーズの「葬送と勝利の交響曲」も多くのスネアを使用して取り組みましたね。バルトーク「中国の不思議な役人」も記憶に残ります。ヨーロッパシリーズの一環で、フィンランドのラウタヴァーラ作曲のAnnunciationも演奏できたこと貴重な機会でした。
授業公演の委嘱作品も定期的にあったので、新たな作品に向き合うことも多かったです。
21世紀に入りカリキュラムが徐々に変わり、ほぼ毎年少しずつ新しいシステムになっていった頃・・ブラスオルケスターとシンフォニック・ウィンド・アンサンブルはAブラスとして、3,4年生の授業。そして1,2年生はウィンド・シンフォニーという形態でBブラスとして前期後期にそれぞれ学内定期演奏会を行うという形に変わりました。明確に吹奏楽が二つの授業に分かれていきました。Aブラスの方は夏も冬も海外からの客演指揮者を招聘するようになり、ハンスバーガー先生、スキャッタディ先生というアメリカのイーストマン・ウィンドアンサンブルの指揮者の先生方の御指導を頂いた時期を経て、この10年はフランスのギャルド・レピュブリケーヌの指揮者ブーランジュ先生による客演指揮が続きました。それぞれしっかりご自身のサウンドと音楽性、そしてアンサンブルビルディングのノウハウを持っている指揮者によるご指導をいただき、学生たちも非常に多くの素晴らしい経験、刺激、学びを受けたと思います。私自身はBブラスの担当が多くなったため、同じ時間の授業ではその客演指揮者のご指導を拝聴することがなかなか叶わなかったのですが、折々聞かせていただきたくさん勉強させていただきました。授業担当も、故淀彰先生、三浦徹先生の時代になり、そして現在のAブラス担当の井手詩朗先生へとバトンが渡されていきました。現在は打楽器の平子先生にもご担当いただいています。その間、私自身はAもBも関わりながらある意味ずっとこの授業を四半世紀見てきたのだな・・と、改めてしみじみと思っているところです。Bブラスの中でも、作曲科学生の公募作品初演や、先生方の作品の演奏など、いろいろな曲目に取り組んできました。本当に多くの作品とともに、そして多くの学生達とともに歩んできた四半世紀でした。
感謝しかありません。

非常勤講師であっても、あと5年は勤められるシステムだったのですがリミットの前に、そして還暦を迎える前に辞めるということは、ある程度前から心にあったことです。COVID-19の影響は全くの計算外でしたが、このタイミングで授業から離れる気持ちは変わりませんでした。理由はたくさんあるので・・割愛します(笑) 「世代交代の必然性」「残された時間に為すべきこと」「専門性」、無理やりまとめるとこの3つでしょうか。詳細は省きます。
もともと母校国立音大では、教育専攻でした。当時は教育一類という学科。子供のころから教育・学校ということに関心が高く、親の影響もあり自然に教育の方向に進学していました。子供ながら「日本の教育はなっとらん!」とブツブツ言っていた生意気な輩でした。実は某国立大学(こくりつ)の教育科も受けていましたが、実技の受験番号1番!早朝!の二次試験で大失敗をして合格ならず。そこから現在の道が始まっていました。国立(くにたち)音大の指揮を勉強するサークルで出会った小松一彦先生による厳しい桐朋メソードのレッスン、そして桐朋学園ディプロマコースへの入学、尾高先生との出会い、と「指揮」を仕事とする道へと歩みをすすめ、非常勤講師という形で母校に戻ったのが卒業して10年目だったわけです。以来四半世紀・・・簡単には振り返ることが難しいほど本当にいろいろなことがあった日々。

教育の現場における指揮・指導については折々自分に問いながら続けてきました。前にも書きましたが、一度札幌で偶然故エリシュカ先生にお目にかかった時に、「教育の現場を続けることはとても大切です。頑張ってください」とお言葉頂いたこともありました。もう一つの母校である桐朋学園系列の大阪の相愛大学も同様に四半世紀ご縁があります。そちらはまずはオーケストラの担当として、師匠尾高先生、兄弟子圓光寺先生、同世代梅田先生とともに関わり、そしてこの10年ほどはウィンドオーケストラの指揮者としてお世話になっています。

教育そのものの話は大変深く、長い時間かけて私自身も考えてきたことがありますが、「教育は人間社会の基本」「どの分野も基礎教育がもっと必要」「結果はすぐには出ない、それでよし!」。このことは一貫して自分の中にあって、授業に携わるときの自分の基本姿勢になっていました。

今の世の中、初等教育が大きく変わり始めています。それがもたらす良い方向には期待をしています。そして高等教育とその先の社会の受け皿に対しては、できるだけ早い改革と意識の変化が必要だと思っています。
社会に一人で出てゆける力を身に着けるための高等教育、社会で迷ったときに今一度学びなおしができる高等教育、そんな位置づけがもっとフレキシブルに展開されることを心から願っています。

長きにわたり、本当にありがとうございました。こんな私を四半世紀も大切な教育の場で働かせてくださった母校には感謝の気持ちで一杯です。同僚の素晴らしい魅力ある先生方、職員の皆様、本当にありがとうございました。今や自分の教え子たちが教員として活躍を始めている世代です!
そして何より、学生諸君。また卒業生の皆さん。限られた時間でしたが、皆さんとの時間は決して忘れません。今後も皆さんの人生を応援します。大学からは離れますが、いつでも皆さんの話に耳を傾けられる年配者として、また一緒に音楽の世界を豊かにしてゆく同僚として私自身も精進続けます!
ありがとう!、さらば、母校!

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