Herzlichen Glückwunsch zum Geburtstag W.A.Mozart!

Herzlichen Glückwunsch zum Geburtstag W.A.Mozart! モーツァルト、誕生日おめでとうございます!
子供のころは聴くより弾くことで好きだった作曲家。鍵盤上での会話に自由を感じた。
タクトを持っての初めの出会いはなんと”La clemenza di Tito”。ティト役は若きテノール吉田浩之さん。当時学部二年生だったか。音大学内サークル公演。国立歌劇研究会という名前だったかと。突然「振ってくれ」という依頼が「指揮研究会」に入り、手探りの初オペラ。ピアノ伴奏の1幕のみだったが、ヴォーカルスコアのイタリア語を全部調べた。
当時は勤勉だった。当時は・・・
声楽を苦手に感じていた自分が、声の素晴らしさに開眼したのは、この時のティト様をはじめとしたキャストの皆さんの素晴らしい声のお陰。小学校で合唱部にも一時期所属したが、基本的に器楽人間だった。鼓笛隊~吹奏楽部~オーケストラ部と音大に入るまで、様々な楽器を手にしてきた。歌う事は嫌いではないが、苦手だった。
ティト役の吉田浩之さんは当時から本当に素晴らしくて、必ず世の中に出ていくな・・・と学生時代から思っていた。
国立音大は当時声楽科に勢いがあった。昨年急逝された佐藤しのぶさんも少し上の先輩。同級生に塩田美奈子さんがいて、卒業して仕事の現場で再会もした。NKHおかあさんといっしょの歌のお姉さん、森みゆきさんも同級生。少し後輩に福井敬さんがいた。当時の声楽科学生の華やかな雰囲気が懐かしい。

ザルツブルグ

モーツァルトと言えばザルツブルグ。1992年、半年ほどここをベースに遊学の時間を頂いた。東京国際音楽コンクール指揮部門で第2位と海外渡航往復の副賞を頂いた時に、ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団で研修させていただく機会を得た。後の文化庁のフィンランド研修時のような正式なものではない。当時のマエストロ、ハンス・グラーフ氏の許可を得て(ファゴットの富永さんのお力添えを頂いて叶ったこと。深く深く感謝。)モーツァルテウムのリハーサルと公演で勉強させていただいた。そしてそこをベースに、ウィーン、ベルリン、ミュンヘンと動きながら各地の公演を拝聴し、許可を頂けたときにはリハーサルも見学という日々だった。このような体験が数年早かったら、もう少し中欧に長くいる道を選択していたかもしれない。

モーツァルテウム管弦楽団のコンサートマスター、マルクス・トマジ氏には大変にお世話になった。自分がモーツァルトに対して自由になったのは、彼のお陰かもしれない。明るいポジティブなコンサートマスター。質問すると、本当に何でもないことのようにモーツァルトの語法、表現を示してくれた。限定はせずに、多くのパターンを自由自在に。リハーサルでマルクスのボウイングを見ていることはとても勉強になった。
そして自分が日本で継続したオペラ指揮の機会をいただいていたプロジェクトー大田区民オペラ協議会にて2000年10月に上演した(結果的に自分の最後のオペラ公演となったが)Cosi fan tutteの際にゲストコンサートマスターとして招聘が叶った。あの機会は本当に宝物だった。その上演の数日後にフィンランドでの研修が始まって以後、オペラとはご縁がなくなった。

モーツァルトと言えばオペラ。自分にとっては「指揮」するときにはそこが中心と考えていた。もちろん交響曲も大切なレパートリーだが、まずはオペラ。今でもモーツァルトは室内歌劇のスタイルで、いつでも上演したい気持ちはある。小さな場所で良い。毎日日替わりで。かつて「魔笛」はチェレスタの弾き振りをさせていただいた。セッコチェンバロは稽古の時に時々。本業のコレペティトゥアの方からは非常にたくさんの事を学んだ。モーツァルトの持つ、言葉と音への鋭い感覚は、言葉を持たない交響曲に向かう時も、同様に背景にそれを感じている。
しかし、やはり・・・・自分にとってモーツァルトは弾く作曲家という姿が一番親しみを感じる。

1756年1月27日 – 1791年12月5日 この決して長くない人生の中で未来に向けて永遠の音楽の時間を創造した人。
今年は生誕265年、没後230年ですね。今も世界のどこかできっと誰かがモーツァルトを奏でている・・

よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

目次
閉じる