骨太とは

今日は名古屋ではACOが初めてマエストロ下野竜也さんの指揮による公演だった。これは近年お世話になっているスポンサー、葵鐘会プレゼンツ公演の一つ。新旧ウィーン楽派を取り上げた刺激的なプログラム。お陰様でマエストロの的確な導きで良い公演になったこと伝わってきた。本当は伺いたかったのだが、名古屋往復することが少々難しく断念した。
そして本日はマチネー公演を東京の錦糸町まで聞きに伺った。新日本フィルハーモニー交響楽団のルビー定期。マエストロ外山雄三先生による、大変多彩なプログラム。
外山雄三:交響曲(2019)
に始まった。大阪交響楽団の委嘱で書かれた作品。「オーケストラと共に生きてきた音楽家による、”オーケストラ讃歌”」とご自身初演時のプログラムノートに執筆されたとあった。この作品の巨大なエネルギーの理由が理解できたと思った。今日もステージ横に席を陣取ったため、ほとんど演奏者と同じ響きを浴びて聞いていた。音の柱、響きの大木が冒頭からそびえていた。中間部の弦楽器を中心としたカンタービレの哀しい美しさも心に沁みた。
大澤壽人:サクソフォン協奏曲
トマジ:アルトサクソフォンと管弦楽のためのバラード
この2曲でソロを務めた上野耕平さんの演奏をやっと拝聴できた。いずれの作品もサクソフォンの幅広い可能性が引き出されている作品ながらタイプが異なる。その両方ともに抜群の安定感と美音で、軽やかに奏でてしまう。
トマジの持つ色彩、オーケストラから自然に湧き出てくるのも楽しかった。静かなタクトのマエストロと、無言の信頼関係がソリストとの間にあったように感じていた。
ベートーヴェン:交響曲第7番
そして後半は、こちらの作品。ネット上にリハーサル風景が少しでていた。それを前日に視聴して「!!」という想いで本日はホールに入った。冒頭のA-DurのTuttiコードがすべて物語っていた。自分がこのような音を出せるようになるのには、いったいどのくらい年月が必要なのだろうか、いや無理なのかもしれないと感じた一音。もうそれだけで十分だった。
徹頭徹尾「滑らない」「転ばせない」「はしょらない」「音価を大切に」、これらは2005年から3年間、愛知県芸のオーケストラ授業をマエストロともに担当させていただいた時に、外山先生のタクトから、御指導から受け取った姿だった。それはどの作品に対してもそうだったが、特にベートーヴェンにこの姿勢で向かったときに出てくる凄みは記憶に深く残っている。
「7番」は、近年巷で大人気の作品となっている。あの素敵な楽しいドラマの代名詞として有名になった。そのことはとても良いことだと思っている。でもこの作品の奥深さや凄み、神格化された舞踏というリズムの持つ本当の力について十分に表現された演奏に出会うことは多くない。上滑りの流れ、勢いのみ・・という演奏は自分はあまり好まない。
何を隠そうACOとの最後の定期演奏会、第27回定期 11月28日はこの7番で締めくくることになっている。まだまだスコアと格闘する日々だが、本日の演奏は作品の本質的な姿をじっくりと描き出された、凄い音が溢れていた。
Hr,Tpに託された神々しい役割、見事に音で果たされていた。

演奏ということ、指揮するということ、楽譜を読むということ、表現するということ・・私自身その立場で仕事をしている末端の一人として、年齢を重ねる中でこれらに対する考えや姿勢は変化している。今現在も日々悩み試行錯誤暗中模索だが、とにかく良い作品であるほどに、その表出される姿は一面的ではない。格好良いもの、スマートなもの、受けが良いもの、わかりやすいもの・・・そんなことはどうでもよいのだというのが今現在の境地。もっとざわつくもの、原石を持った感触にちかいもの、骨太のもの・・・そんな姿を自分が朽ち果てるまで追い求めたいと思う日々なのである。奇をてらったことをするのではない、ただひたすらにものの本質を追い求める。良い作品はそれがとてつもなく大きく重く深い。だから、様々な表現の形が出てくる。
外山先生とは30歳の年齢差がある。それは自分の父親と同じ。父は76歳で天に召された。外山先生の本日のお姿を見ていると、不死身という言葉が浮かんだ。あの域までゆけるだろうか・・・まずは健康だ。

コメント

コメントする

目次
閉じる