2001年の9月11日はフィンランドにいました。室内楽コンサートのリハーサルを終えて、ピアノクワルテットの仲間と会場を出たころ 恐ろしいニュースが携帯電話を通してメンバーに告げられました。
あの当時はインターネット状況もそれほど芳しくなく、実際の状況を把握するのにひたすらテレビのニュース番組を見ているだけでした。帰国のほぼ一カ月前の時期、帰国時の空港の様々な規制が今までになく厳しかったのを覚えています。
それから10年の間にこの9.11に関しては多くの情報が流れて、今もって真偽について検証されています。
それを精査しているわけではない自分には、事の真実は正直不明です。
それでも、その後の10年に世界に見えている大国の姿勢には折々疑問を持っている自分です。
そして3・11からすでに半年が経過した日本。
SNSサイトを通して、知りたい地域の情報が昨日わかりました。
南相馬市小高地区の様子が写真に撮られていました。浪江・双葉という最も原発の被害の大きい地域について、報道でもまとまったドキュメント放送があったようですね。通常に入れない地域なので、半年も経過してしまうと、本当に荒れ放題になります。住民の皆さんはそのことへの心配は募る一方でしょう。
だからと言って、簡単に入ることができない現状、「なぜそうなった」ではなくて、もうここからは「だからどうする」に、姿勢をどんどん切り替えてゆかないと避難先の住民の皆さんの心労は重なるばかりです。
善意の支援の輪は様々な業界を巻き込んでどんどん広がっています。
音楽業界のチャリティー公演は継続し、また拡大し、世界規模でプロからアマチュアまで、
いろいろな企画がなされ、暖かな志が集まり その手を差し伸べた人は多くの人に気持ちが届くことを願っています。一方その気持ちを無にするような現状もあったり、きちんと届かなかったり、すれ違ったり・・・・
何事も簡単に進むことはありません。
私自身は9月末のフィンランドでの公演、そして帰国してすぐの京都での公演二つは、
復興支援の看板をかけての公演となっています。応援の気持ちが集まること、同時に日本のこれからを一緒に日々考えてゆく気持ちを共有すること、そんな時間を音楽とともに作り出して前進の歩みにかえてゆきたいと願っています。
リスクを恐れては・・・という発言を海外から度々聞きます。そのニュアンスがもしかすると間違って日本に届いていることもあるのかな・・と、感じることもあります。
リスクという言葉がいけないのかもしれません。
誰もが平和であること、安心であること、安全な生活を日々望んでいるのは当然です。
でも現実はそういかないということが事実であることを、あらかじめちゃんと受け止めて対策をたててゆく、
「安心・安全」は、ただそこに存在しているものではなく、それを獲得するための努力や学びが必要なのが人間の社会なのだということを、忘れてしまっている事が多いというイエローカードを今は抱えていようということなのかと自分は思っています。
日々のことで言うと、「うまくゆかなくて当然」と思っておくことは、備えあれば何とやらにつながります。
現在の日本は、やはり我々国民が選びとったあり方なのだということを再認識したうえで、、今後への反省と対策をこれまでとは違った視点を持って早急に見つけてゆくことが必要なのだと思います。
フィンランドに来る前に日本のトップが変わってしまいましたが、これ以上世界各国に「日本とはなんじゃらほい」と思われないように、殿さま任せはそろそろおしまいにして歩いてゆかなくてはな・・・と、思います。
ちっぽけな自分ですが、自分の関わる世界において またそこからつながる世界の中で、
この二つの「11」という数字の日付の意味を忘れずに物事に向き合っていたいと思います。
今日は朝、実家に電話が全くつながらず「ひやっ」としました。
どうも通信障害だったようですが、(つながった後も、回線が度々切れるような通話状態)
万が一何かあった時にどうやって確認連絡をするか・・・・いろいろ頭を巡らせてしまいました。
こうしてラハティの部屋で一人で籠って勉強やら作業やらしていると、自分はいったいどこの社会に関わっているのか・・・と、感じることもあります。まだ何モノでもない自分・・・今年は大きな節目の年齢を迎える自分の在り方もまたじっくり考える時間が流れています。10年前もそうでしたね・・・・。
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