弾く13

Beethoven piano sonata No.21 op.53

ようやく、この作品、この時期にたどり着いた。第21番、通称「ワルトシュタイン」。ベートーヴェンの創作時期の第2期とされる時期には、交響曲は第3番から第8番が並ぶ。ピアノ協奏曲第4番、第5番、そしてヴァイオリン協奏曲が作曲されている。交響曲第3番「英雄」と並び、ピアノソナタの「英雄」ともいわれるこの「ワルトシュタイン」、ベートーヴェンのボン時代から支援の手を差し伸べ続けたワルトシュタイン伯に献呈されている。
この頃鍵盤楽器としてのピアノの発展も目覚ましく、ベートーヴェン自身もしばしば製作者に対して大きな刺激となる言葉を発していた。作曲者による自作演奏もこの楽器の発展を牽引していたともいえる。
1803年12月から1804年1月にかけて、このソナタの作曲に取り組んだベートーヴェン。この時期は、交響曲第3番「英雄」のスケッチ作業を終えた直後。交響曲「英雄」は変ホ長調、(これ自身英雄の調と言われえる調性)に対して、このソナタはハ長調。調性の色彩は異なるものの、勇壮な音楽の骨格は同種と感じながら弾く。

この第2楽章・・・完全にブリッジ、第3楽章への導入としての役割になっているが、ベートーヴェンはもともと第2楽章にヘ長調のロンド形式によるアンダンテの曲を準備していた。しかしそれを後にこのソナタから切り離して、単独で出版している。そしてこのIntroduzioneとされた導入が壮大なRondo楽章への見事な道として生まれた。
若い頃、勉強当時、この部分を自分は居心地悪く弾いていたように思う。今回改めて弾いてみて当時の自分を殴ってやりたい!と思った。これをわからずしてこのソナタを弾くな・・と。この神秘性は今、このタイミングで自分の中に深く入ってきた事をとてもありがたく思った。

そしてこのRondo形式の終楽章。手を交差させて弾くという形は、若い頃自分にとって課題の技術だった。冒頭の楽章の和音の連打もそう。しかし、音大に入り「指揮」の勉強を始めてからマスターした「脱力」により、各段に弾きやすくなったことを覚えている。話は脱線するが、18歳で始めた指揮法からの勉強は、始めの師匠である小松一彦先生の大変に厳しいご指導で、徹底的に基礎的な動きを鍛えられた。動かす前にまずは完全なる脱力と必要な筋肉をつけるトレーニングに日々明け暮れた。師匠と同レベルでそれができないと次に進むことを許されなかった厳しさは、今大変感謝している。そして「脱力」は、ピアノ演奏にも大きく影響した。

ベートーヴェンの交響曲第3番を巡っては多くの逸話があり、史実がある。作曲者の内的な成長と革新的な試みが交響曲はもちろん、ピアノ作品にも益々現れていると思う。21世紀にも頻繁に演奏されるベートーヴェンの作品は、この第2期に生まれているものが多い。充実の時期。しかし、大いなる苦悩を抱え始めた時期。

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