Kiitos äitini. Hyvää äitien päivää.

母の日。母が天国に行ってしまってから2度目の母の日。昨年は自分がバタバタの日々でゆっくり振り返ることが難しかった。今年は・・・この状況下時間だけはたくさんある。
母が好きだった庭仕事を見よう見まねで始めている。その成果か?庭の白薔薇が多くのつぼみをつけている。

私が庭仕事を続けているなど、天国の両親にしてみれば奇跡のようなものだと思う。何とか母が遺した花たちを未来へつなげたい。併せて有形無形のことも、未来に向けてつなげ、育ててゆきたい。母の偉大さは日々募る。どれだけ自分がそのことをわかっていなかったということも日々募る。人間として、大人として、社会人としてまったく落第点の自分なので、未来は厳しい。しかし母が、両親が手渡してくれたことを無駄にはしたくない。精進続ける。

さていよいよ今週から「オンライン授業」が始まる。まずは母校の国立音大にて2つの授業。翌週は大阪の相愛大学も始まる。相愛大学も初めてお世話になってからすでに四半世紀以上過ぎている。両校ともに長いご縁。この度の「オンライン授業」は、もちろん両校とも初めて。送受信双方が手探りの状態だと思う。自分は英語の学習でオンライン授業を受けていた期間もあったが、あれは確立された方法がすでにあり、登録して決まった時間をスカイプ利用で対面授業。
自分の音大の授業はそうはゆかない。二つの大学とも「吹奏楽」の授業を持つ。これは本来リハーサルを行う授業。自分の通常の公演仕事と同様に、リハーサルの中で作品を通して学生に様々なことを伝えていく。集って音を出すことが叶わない現在、残念ながらオンラインでは音を出さない授業となる。150名を超す人数のアンサンブル授業は不可能だ。
よって、講義授業と同様にオンデマンドで課題を出し学生のフィードバックを得る。
現在その課題を作成中。初めてみるとなかなか面白いが、慣れぬ故難しい。
もう一つ、「指揮法研究」の授業がある。昨年10名の受講生だったが、今年はなんと3倍を超えた。どうやら33名になりそう。さてこちらも対面しての指導が理想だが、それができない。よってオンライン授業中は講義資料作成と、実演のデモンストレーション、それに対する学生のフィードバック。という流れ。大学への登校が始まり通常授業になった時のことも、考えておかないといけない。昨年のペースで進めるわけにはゆかない・・・・。

つい先日、都内の眼科に行った。かかりつけ医である。目の調子はいろいろと問題あり。まずは強度の近視。それは自業自得。そして加齢による様々な変化。このところの充血。二か月通院を我慢したが、治らないので行った。都心が別世界だった。電車も全員が隙間をあけて座れる乗車率。そもそも千葉県から出て都内に行ったのが3月20日以来。久しぶりに川を渡った。東京駅~新橋駅~銀座線~青山一丁目~と、都心に向かっても人がいない。渋滞が常の246もスカスカ。外出自粛とテレワークの徹底か。久しぶりに片道1時間半以上の往復は、なかなか疲労が。なまっている自分を感じた。

さて最近特に気になるのが、報道の問題。良い事、悪い事、事柄の両方の側面を本当にちゃんと伝えているのか、と感じることが多すぎる。伝え方も下手になっている。それは大本の政府の発信も悪い。そこには伝える技術すらないように感じてしまう。技術のなさで多くの誤解を生んでいることもある。この緊急事態だからこそ本当の力が透けて見えてくる。
また今に始まったことではないが、報道には何かの制約を受けて発信しているのだろうと感じてしまうことも多い。物事には表裏両面が必ず存在する。そこをきちんと見極めて本質を抉り出さないと、単なる子供のお使いのような報道に終わる。それはもはや報道とは言えない。そう感じることがとても多い。

新型コロナウィルス禍下で浮き彫りになっていることは、それぞれ国家の特徴が見えている。そして政府と国民の距離、関係性も見えている。ネット社会で簡単に手に入るニュースに対しての真偽判断、事件の背景へのリサーチ、決断の理由の理解、本当は何をしようとしているのか・・という推察、我々も受け取るときに多くのことを考えていなくては大変危険な状態になる。ダメなものはダメ。それは言い続けなくてはいけない。同時に本当の理由への洞察力も養う。



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