庭仕事と音楽の仕事

週末に家仕事をまとめるペースにようやく落ち着いてきた。幸い陽射しが戻った週末。ようやく庭仕事に向かった。
2年前に他界した母が庭仕事が好きだった。多くの花を育て、札幌や九十九里に住んでいた頃には小さいながら畑で野菜を育てていた。父も晩年は九十九里での畑仕事を楽しんでいた。
しかし、娘の私はその才はない。札幌在住の子供のころは土と戯れ、虫を追い、草花の中で過ごしていた。東京に戻ってその環境を忘れていった。思い出して少し手掛けても長続きしなかった。
とにかく、今目の前に荒れ果てた庭が(小さなものだが)ある。やるしかない!
忙しさと不在の多さを理由に何かを育てるということを辞めていた。しかし今は・・そう、時間がある。この多くの時間を能動的に自己管理ですべて使えるということの豊かさをこの一か月半、身に染みて感じていた。と言ってもなかなかペースがつかめず、多くのやるべきこと、やりたいことにただ振り回されていた感覚だった。この先の公演指揮がいつから可能なのかまだ先が見えない。勉強を進めていた公演が中止、延期の報せが続々入り、いったん楽譜を閉じる作業が続いた。今現在は秋以降の公演の準備を進めている。音楽大学の授業も、ついにオンライン授業となる報せが入り、講義授業についてはその準備も必要。合奏授業である吹奏楽は、オンラインは無理だ。よって自宅学習の期間は急遽課題レポートに切り替える。指導者側も初めての事態。みな、右往左往しながら学生たちの貴重な時間に試行錯誤。
 仕事準備のほかに先月から続けているのが語学のやり直し。この時間はある意味宝物と思っている。
庭仕事の話に戻る。増えた雑草と言われる一群は、実に綺麗だ。まばゆい緑のスギナの一群。以前はツタ類が張っていたが、それを年明けに取り除いた。其のあと進出してきたのがスギナ。そのままにしておきたい色だが、詫びながら抜いた。ツタの残りの根もまだまだしぶとく残っていた。母が植えていた花が知らないうちに咲き始めている。自分は花の名前を知らなかった。ジングウツツジ、大手毬、ヒメツルソバ、紫蘭、オキザリス、知人が写真をみて教えてくださった。
天国の母は笑っているかもしれない。母の愛用の麦わら帽子をかぶり、土と格闘している私をみて。
強い植物は、なんといっても根が強い。深く、広く張り巡らしている。その強さにはいつも敬服する。かくありたいと思う。雑草でよい。小さな花でよい。土の良い栄養を摂り、雨風に負けず、次の世代までしっかりと生き続けること。
庭仕事は筋肉痛になる。仕事で使わない筋肉が見事にやられた。熱をもっている。アイシングして昨夜は休んだ。気を付けよう。このあと庭に菜園を作る。自給自足の真似事だ。ささやかなものだが・・・。生き物たちに教えられることが多いこの頃。ヒトはもっとその声を聞いたほうが良い。
生きることはどんどん厳しくなるだろう・・・同じような仕事はできないかもしれない。それでも、この環境でできることは、やり続ける。

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