弾く

Bach平均律クラヴィーア曲集第1巻

昨夜ピアノを弾いた。悲しい知らせを多く受け取った昨日は、Mollの作品しか弾けなかった。
在宅時間が増え始めた3月から弾く機会は多くなった、それまでより。自分の楽器体験はピアノが初め。後にアルトサクソフォン、そしてヴァイオリン。ピアノは4歳から。初めの先生は当時N響ヴィオラ奏者の方の奥様だった。同じ団地にお住まいだった。実は初めはピアノが自宅にないまま習い始めた。ご近所ということもあり、おそらくいろいろと便宜を図ってくださったのだと今考えると思い当たる。度々先生のお宅に伺っていた記憶が。
バイエルは伺ったレッスンの時間の中で譜面を読み弾いて次の課題に進むということの連続。家で練習する術がなかったので、必然的に読譜は速くなる。進むほどに曲が面白くなるので、止まらない。そんな初歩の段階を過ごしていたのでお転婆なピアノ学習者だった。5歳で札幌に引っ越し、中古のオルガンが家に入った。この頃は先生が自宅にいらしてくださるレッスン。弾くというより、目の前の楽譜を音にすることに夢中なだけの荒武者風だった。レッスンの楽譜に飽きると今度は「子供音楽館(小学館)」についていた管弦楽の編曲作品や少し難しいピアノ曲をひたすら弾いた。それに飽きるとやはりついていた絵本を開いて即興の時間に入る。
理由は不明だがこの時期先生が二回変わった。そして札幌での三人目の先生、石田淳先生が自分にとって初めの運命の師だった。小学校二年生というと、お転婆最盛期。オリンピック前の札幌は広々とした土地が広がり子供にとって天国だった。ピアノも弾くが外遊びと探検も忘れない。生傷絶えないままレッスンに通った。Bachのインヴェンションを弾くようになり、アルド・チッコリーニの名前を石田先生が語りだした。当時の私は???である。ちなみに其のころ知っている演奏家は、グリゴリー・ソコロフだけだった。先生がおっしゃった。とにかく聞きなさいと。そして何が違うか考えなさいと。そしてレコードを貸してくださった。チッコリーニのレコードはその後我が家でも購入して今もどこかに眠っている。ソナタを勉強する頃に、バックハウス、ケンプの名前を先生が語りだした。やはり聞きなさいと。貴重な録音を先生のレッスン室で何度か聞かせていただいた記憶がある。当時の自分はその内容の深さ、意味をおそらく何も理解していなかった。
でも、この体験は時代を超えて自分の中に残っていることを今現在強く感じている。
自分はピアニストではない。だが作品を自分の手で音にすることは続けたいと思う。続けなくてはいけないと思う。
指揮者は自分で音を出せない音楽家という位置づけ。演奏するという感覚から離れてはいけない。身体と魂と思考が必ずつながっていなくては。

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