elokuu eloはフィンランド語で「命・生命」そして「穀物」という意味もある。
秋の収穫に向けて、まさに命育つ季節。
でも実際は8月に入ると、かなり急激に秋の気候に向かってゆくフィンランド。
今年はどうかな・・・。
昨年は7月一杯まで猛暑で、帰国した時の日本とほとんど変わらない状態。
その後もう一度8月後半からの滞在時には、20度くらい気温が下がっていたというこの変化・・・
先週金曜日、一つの訃報が届きました。
10歳で札幌から東京に戻った時からずっとお世話になっていた、ピアノの先生が天国へ旅立たれた。
4月に、同門の先輩の方と一緒にお見舞いに伺ったのが、最後に先生とお目にかかった時間となってしまった。
佐藤洋先生。よう 先生と読みます。芦屋のご出身でレッスンは関西の言葉。
その衝撃は子供ながらに大きかった。
目を丸くして・・・というより耳を全開にして先生の言葉を受け止めていたように、今は思います。
佐藤先生は、いわゆる音楽大学には全く関係しない先生で、
ご自身もピアノの勉強は様々な御苦労と努力をされてきたことを、折々に伺っていました。
これ、と思う先生を自ら訪ね学び、とにかく音楽だけではなく様々な芸術方面にご自分の手でそれに関わり世界を広げていかれていた方。
レッスン室には、先生のお手製のお人形が並び、手芸品などもたくさん飾られていた。
私が大きくなってからは、中華料理も教えていただいたことがあります。
小学校6年の時に、中村紘子女史の公開レッスンに先生が申し込みをされて、私は出ることに・・・
それはそれは今思うと緊張のひとときで、印象は中村紘子さんは厳しい!・・・という実に幼いシンプルな感想しか残っていないことが申し訳ないあり様。
当時の私は、ピアノを弾くことは好きでもそれを仕事にすることなど、全く考えておらず、
専門に勉強するということにも意識は向いていなかった・・・・・。
目の前に楽譜があれば、なんでも弾くというタイプで、譜読みだけは早かった。
中学で吹奏楽を始めた私を見て、「この子はピアノだけではなく、広く音楽を」というタイプであることを考えてくださったようで、いろいろな作品に接する機会をレッスンで下さった。
高校受験の前は1年間レッスンは休んでいて、高校に入学してからもレッスンの頻度は多くはなかった。
自分が音楽部と弓道部の掛け持ちで、あまりにバタバタと忙しかったため。
音大受験もかなりぎりぎりに決めたので、本当に先生にしてみると ドタバタで計画性のない暴れ馬のような生徒であったと思います。
音大に入学してからは、レッスンに伺うことはなくなったものの、折々ご報告に伺ったり、
指揮者の活動が始まってからは、度々演奏会にいらしてくださった。
お手紙も時々くださり、先生のお好きな「犬」のキャラクターや、久家道子デザインのグッズを
フィンランドへのお餞別や記念に贈ってくださった。我が家にはたくさん残っています。
近年はお身体を壊されて療養されていましたが、時々お見舞いにお伺いして
懐かしいお話も、少しできる機会がありました。
静かで安らかな最期であったと、ご子息からご連絡いただきました。
明日、お別れに行ってまいります。
昨日のメンデルスゾーンは、個人的には密かに先生へのお祈りの気持ちでもありました。
先生はクリスチャンです。
ステージに上る前には、どんなに自信を持って臨める時でも
自分以外の支えてくれる力に感謝と祈りを持って・・・
その言葉を指揮者としてステージが始まる頃に頂きました。それは大切なお言葉としていつもあります。
この先も将来先生に音楽のご報告がたくさんできるように、また大切に一歩ずつ歩きたいと思います。
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