人の意のままにならぬものは、ことしも春をもたらす
どんな所にも、どんな人にも、
青葉の森公園を歩いてみた。桜の道はまだ見られなかったが 枝から「もうすぐ!」という声はきこえていた。
もうすぐ・・・・
この枝が一番乗りの咲き方だったかな・・・
日の当たり方で 同じ種類の木も開花が違う、
人生もそう、
でも みんなそれぞれの時期でちゃんと花開く。その力を持って待っている 力を蓄えている
咲こうとしているものには、いつかその時期は来る。
ピンポイントで美しく咲いていたものも
あと数日できっと花道ができる・・・・・
昨年この公園を通って感じたこと・・・「あと、何回この桜を見られるか・・・・」
人生半世紀も近づくとそういう想いはだれしも持つ。
生死は誰にとっても隣り合わせ。
どのくらいその隣との距離があるか・・は、それこそが「神のみぞ知る」
春をもたらすものと、人間がその手のひらの上で勝手に作り上げてきたものとを同じ言葉で表現するのは恐ろしい驕りだと思う。コントロールできなくなるようなものを作ってはいけない・・・・というメッセージを感じる。
作るのであれば、己の力でちゃんと管理運営コントロールできるものを。
被災地の方が本当に春を味わえるようになるのは、まだまだ先かもしれない。
でもそれが必ず来ることを、そしてそこまでの歩みを 日本中の、世界中の温かい心がずっと見守っていくということを、2011年の春に刻みたい。
ネットワークの網が本当に様々なところで広がっている。
現代の情報社会の良い点を思いっきり使って 細やかな支援活動も始まっている。
モノの支援が少しずつ回復している。これからは人の手、人の知恵の支援が必要になる。
街づくりは再建か新規か、仮の住処の生活問題、雇用、親を失った多くの子供たちへの支え・・・
この地震による原災への見通しが早く立ってほしい。
そこには、新しい日本の立ち位置が見えてくることを期待している。
そして原発、
廃炉を決めたようだが、いずれにしても事態収束には相当の年月がかかるということが明確になっている。
では
いち早くその先の問題解決を国民とともに考える方向を打ち出せばよいのに。
現在の原子炉の状態については、いずれにしても素人はどうすることもできない。
危険か否かの情報はほしいが、発電所の構造に詳しくなるだけでは何もこの先の解決にならない。
ようやく海外からの専門的な支援とチームを組んで解決にあたり始めたよう・・・
どうしてこんなに遅いのか・・・・も不思議だが、それを追求する間に とにかく進展させてほしい。
野党が追及したい気持ちも立場も理解できるが、
今はいち早く明確な未来へのビジョンと具体的な方向性を打ち出すことが
本当に国民の理解と応援を得られると思う。
どっちもどっち・・・と現在の政局をクールに見てしまう自分にとって
「本当に必要なこと」「本当に大事なこと」をやってゆくしかない・・・と、
大局的に見ている政治家の姿がうつらないのが残念だ。
党のために国民がいるのではない。
主義主張のために生活しているのではない。
ただ、日本と言う国を失いたくない想いは同じです。
被災地でチームを組んで多くの人の為に動き回る子供たちのほうが、よっぽど立派な政治家だと思った。
適材適所に、得意分野で力を発揮してもらうことを采配するのがリーダーの役割だと自分は思っている。
一人で責任を負って 使命感と悲壮感で自滅するのはもっともやってはいけないことだ。
・・・・・・・・・・・ということを
自分は過去何度も失敗してきて身にしみている。
そんな悩み苦しんでいる姿は、誰にとっても見たくないものであり、誰のためにもならない。
あの被災地で奮闘している子供たちの心の糸が切れてしまわないように・・・・
ずっと見守ってゆきたい。
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