ということで、本日はこのお二人の著名な作曲家の誕生日であります。
偉大なるは創造者なり・・・と、最近とみに思います。
「よくぞ、このような作品を生んでくださいました」とひれ伏したい想いは度々です。
しかし自分の関わる世界で見ると、
その作品を理解して音空間に再現する人がいないと存在できないものでもあります。
だからといって、演奏家が偉いなどとは毛頭思いません。
創造者ありきです。
天国の作曲家の皆様にも、ご存命の皆様にも、また未来の創造者の皆様にも大いなる感謝の日々!
現在、コラム執筆二つを抱えて頭を抱えています
書けない・・・・・・・
昨年からどうも何かが変化していて、以前のように筆が進みません。
文筆家ではないので 「そんなに悩まずとも・・・」と言われますが、
ある意味自分の中のバランスだったのです。それが徐々に崩壊していることを感じます。
その要素のひとつがおそらく・・・自分で音を出していることではないかと思っています。
拙いながらも音符を自分の身体で音を出すことで楽譜から読んでいたものを言語化して実在させている状態、
それは指揮という行為で他の音楽家との共同作業、あるいは伝達作業することとは全く違う感覚です。
指揮という主体的であり客観的な作業と書くということでバランスを取っていたことが、自分で音を作ることである意味バランスを取るようになってしまった・・・・なんだかそのような気がしています。
あくまで内なることなので、「まあ勝手に悩んでね」で終わることなのです・・・・。(^^ゞ
昔はあまり自分の気持ちを語らない子供でした。
その分ピアノにず~~っと向かって好きなように弾いていた・・・
あの頃の自分の状態はこの年齢になってもそのまま覚えています。
音符やピアノの響きと内なる会話をしていた日々ですね。
もっとも、とってもおてんばで外向きの子供だったので、日々でかけては男の子たちと暴れまわっていましたが、その姿と自分の内面は別物でしたね。
昨日は妹の命日でしたが、妹は逆に非常に内向きの子供で繊細な人間でした。
30年経ちましたが、私の中では彼女はいつまでも18歳ですね。
さて、
現実にもしっかり目を向けて歩まなくてはいけませぬ。
国会を見ている限り、ある種の「限界」を感じます。
私は再編して主義主張を整理して運営を進めてほしいと思っています。
国家としての対外的な問題と、国家の内側の問題と、もっと分業して進めてゆかないと「片付けられない症候群」と同様になりそうです。問題ごみの山になりますよ。悩んでいるうちに積み重なる一方の問題。能力を超えた案件を抱えていることで、整理のやり方も忘れてしまったかのような状態・・・。
それぞれの党の対面を守ってくださっても、国民にとって何も有難くない。
お好みのアイドルグループに投票しているわけではない・・・、名前ではなく「何をするか」を見ている。
おしくらまんじゅうしているだけで、どこにも進まないのであれば全員土俵から降りてほしい。
そして相手を追及するのには、よりよい代案を掲げて登場してほしい。
小学校の学級会よりひどいやり取りは、子供にも笑われている・・・。
自分自身も人のことは言えない状態なのですが、だからこそ非常に切迫してわかります・・・・・・・。
60代、50代、40代の世代の連携と覚悟が必要な時ですね。 次の30年を作る、今の10代、20代、30代の世代に負わせてしまっている問題を本気で片付けてゆかないと、転覆間近かな・・・・。
それは避けたいよね。学生達と接することが多いので、様々な現場でそれを痛感します。
自分の仕事の環境も毎年、日々大きく変化しています。
一昔前と同様の夢や目標の歩み方はもはやできない。
でも「残したい良いもの」や「素晴らしい新しいこと」を見据えて大事に運んでゆくことから目を離さず、
自分なりにできることは、まだ・・・・残っているかなと・・・
そのように日々心に言い聞かせています。
あと10年・・・・・・・・・祈りたいのは 「動き続けられますように・・・・」
まだ演奏していない素晴らしい作品が山のようにある・・・・
そこに出会う執念を持って、命をつないでゆきたいです。
創造者への大いなる尊敬の念を持って・・・・
コメント