芸術祭が終わると、音大は学内が演奏会の嵐になる・・・
オーケストラ、吹奏楽の定期演奏会はもちろん、合唱の定期公演、各研究室の演奏会、
学生達は目の回るような忙しさ。
でもその演奏に向かう時間の中で、鍛え上がってゆく自分を確認してほしいと思う。
H.アハマスの曲、ヴァイオリンとウィンドオーケストラのための3つの楽章の初ソロあわせ。
ソリストは国立音大の卒業生、現在神奈川フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、石田氏。
アハマス氏からこの曲の楽譜を見せて頂いた時から、実は大学で演奏できる機会があったら、お願いしたかった石田氏。超ご多忙の中、お引き受け下さいました。自分の考えは間違っていなかったことを確信したソロ合わせ。素晴らしいソリストの音と音楽に、学生達もどんどん変わります。これが何より嬉しいことです。
きっと作曲家ハッリさんも喜んでくださるでしょう。公演までさらに磨きをかけましょう。
そして大曲トリトンもあと一カ月、がっぷりよつに取り組んで、仕上げてゆこう。
長生さんの持ち味、若い感性にも強く訴える味を学生達は充分に感じています。
それを全体で納得の音にするまで、しぶとくがんばりませう。
存命の作曲家の方との交流をいただいています・・・・。
どれだけ心血注いで生んだ作品であるか・・・
それを音にしてゆくことの大切さ。
再現演奏家が決して忘れてはいけないこと・・・・
もうすでに天国にいらっしゃる方ももちろんですが、たとえ数分でも、1時間でも80分でも2時間でも、
どんな長さの作品であっても、その構成やオーケストレーションに至るまで意味を持って作曲家は作っている。
私はどうしても吹奏楽の「コンクールカット」に対して、その点において我慢がならない時がある。
作品を道具として効果的な演奏の素材としてのみ考えている人の手による演奏に対しては、
非常に悲しみを感じる。苦慮の上の判断の場合と、配慮のない場合と、聴いていてもよくわかる。
今年、とある学校のある自由曲情報を得て絶句した。
作曲家はもっと怒ってよいと思う。
数カ月も「訓練」に明け暮れる子供たちがそのように作品に向かう姿勢で、一体本当に音楽を感じ考える感性が育つのか。作品にその本質と正面から向き合ってゆく心が育つのか。
表出のごくごく一部分一面だけの理解と判断しかできない子供が育っていないか・・・
そんな若者を増やしてどうするんだ・・・と、
もはや一般常識のように一つの現象となってしまいっているある種のコンクールの在り方、
もう21世紀も10年が過ぎる、
そろそろ・・・・・・・・・・・・・
考えてもよいのではないか。
今年の国立音大シンフォニックウィンドアンサンブル定期演奏会は三部構成。
初めの3曲は、ヨーロッパ、アメリカの新しい作品、
次の2曲はソリストを必要とするウィンドオーケストラの作品。
この分野については今後もぜひ開拓したいし作品も増えてほしいと願っています。
そして最後の2曲は邦人作曲家。
どの部分も注目ですが、このソリストとウィンドオーケストラの可能性は、ぜひとも今回楽しみにしてほしいなと思います。私はこのヴァイオリン協奏曲を担当しています。三浦教授の作品はソプラノソロが入ります。
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