Syyskuu 9月

vesijarvi.jpg
絵のような風景でありますが、写真です。曇り空の時は湖にその雲が写りこんで面白い風景になります。
晴天の夕方は、ここに夕焼けの色が差し込んで美の極致の時間が生まれます。

9月、今週は少しフィンランドの気温は上がっています。日中も16℃くらいまではいくようです。
スウェーデンの東側が寒くなっていますね、ということは週末こちらは冷えます・・・どうやら雨も・・・。

日課のピアノ練習までの間、楽譜と向かいます。
資料整理もあります。相変わらずたくさん図書館から借りています。

このところネット状況が時々悪くて、メールが迷子になったりしているようです。
ごめんなさい。もしご迷惑おかけしている方がいらしたら・・・、
届かないとか、送ったはず・・・という時は、今一度ご再送お願いいたします!!

10年という単位、人間という生物学的にはその単位は10年ではないようですが(細胞が全部入れ替わる時間?)、人生の時計にメモリを打つというのは 時々必要ですね。どこまで時計は廻り続けるかは、現在のところまったく不明ですが。10年ごとに明らかに針の動き方がスローになっていることを思い知ります。時間は絶対的なものではない、というのは音楽に携わる人は演奏の中で感じていることと思います。「時」という表現と「時間」という言葉には大きな隔たりも感じますね。

シベリウスとともにマーラーへも大いに強い想いを持つ自分ですが、現在「子供の不思議な角笛」に向かっていて、このテキストと音の関係で描き出した世界+シベリウスが音詩で描いた世界=現世 なる数式を頭に持ちながら見ています。
一面として相反する世界でありますが、相互に必要としていて・・・・
作曲家マーラーとシベリウスが実際に会談した時の「居心地の悪さ」「すれ違い」「意見の食い違い」などなどがありましたが、オーケストラ伴奏つき歌曲と交響曲という作品群を主軸にしたマーラーの作曲哲学の中には、実はシベリウスに非常に近くてほとんど背中合わせでくっついているものが見えるように思っています。

ゲルマン精神の凝縮でもある「子供の不思議な角笛」の編纂とスオミの根っことされる「カレヴァラ」の編纂、
そんなに時代は変わらないのですね。そのことにも今回改めて気が付きました。

200年ほど前の人の文章に様々な世界を見る人間、「時」を感じることで大きな歴史の橋を内側にかけることができる人間の力を思います。近視眼的な状態で物事を処理する今の歴史の時間を過ごしがちな現代人の我々。気をつけなくては・・・と思うこと多々です。

トロイカか・・・・ネーミングが好きな日本であります。
「・・・・Japan」のようなネーミングを何かで募集していましたね・・・少しそれもやめればよいのにと
このおばさんは思っています!ネーミングで思考停止になっている図もたくさんあるので。

 

さて9月の初め、
次の目標へ近づけるかな・・・
よい一日を!

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