あれから15年

阪神淡路大震災から15年。
一瞬で多くの悲しみをもたらした自然の威力の記憶はしっかりと刻まれている。
地震の前日に大阪から東京へ戻っていた。仕事でたびたび関西と往復をしていたあの頃。
関わっていた大学の学生たちも当時いろいろな形で被災していた。

ハイチでの破壊的な震災。
どのように復興できるのか・・・と茫然としてしまうようなニュース映像。
日本もこのところ地震が多い。全国的に、地震が周遊しているかのようにぐる~っと順番に。
備えあれば・・・と思いながらも自然の威力にはかなわないと、ある種の「畏れ」がある。
その気持ちは大事だと思う。
人類はえらくもなんともない。ただ、知力を天からもらった生き物。
できるだけ使っていこう、頂いた力を。

昨年神戸大学の仕事で阪神地区に通っていた時、たびたび見ていた神戸の夜景。
リハーサルで使っていた学生会館は当時避難場所になっていたと学生たちから聞いている。
あの灯の光を見ながら15年という時間が語りかけるものを受け止めていた自分を感じていた。
復興へ尽力した方々の力と想い、
悲しみの時間から立ち直る力を取り戻した皆さんの心、
前を向く気持ちを取り戻すことさえも、とても大変なことだと思う。
命は心が支えている・・・・

いつ何時どのようなことに遭遇するか誰にも分からないけれど、
自分の心に灯をともし続けて歩いてゆきたい。
消えそうな灯には、別の灯をともしてわけてゆく・・・・キャンドルサービスのように。
そんな灯にもなるような、そういう音を奏で続けたい。自分の手で。

文化芸術支援についての内閣府発表が紙面にあった。

思うに・・・
「経済振興」の数値はイコール「よいこと・意義のあること・意味のあること」
なのだろうか・・・・。

メセナ活動の意味や、これまでの文化支援の意味というのは
結局そういうことでしかなかったのか・・・。
前時代的な人間社会のとらえ方から全く進歩発展前進していないということだ・・・・。

社会から不要であると言われることの無力感を痛感する。
足が重く肩が重く背中が重く呼吸が重く・・・・そんな気分。
でもそこで立ち止まってはいけないわけだ。
自分がほかの人の音楽の灯から灯を分けてもらったように、
きっと、自分も明るい灯をともすことができれば・・・・誰かに灯を届けられるかもしれない。

2010年の目標
やるべきことをやる・・・・灯がともるかな・・・灯さなくては。

 

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