olen vilustunut….

風邪をひきました・・・

でも回復に向かっています。二日間籠っておりました。
明日から毎日リハーサル、そして週末コンサートが続きます。

絶対に!

倒れられません。
幸いインフルエンザではなかったので、大丈夫です<(_ _)>

先日横浜国大のリハーサルでお目にかかったチェリストどのから素敵なCDを頂戴しました!

miyake cd.jpg

MIYAKE Susumu and Four Grear Cellos
というタイトルのCDです。ジャケットもなかなか洒落ています!
4種類の異なる楽器を使って弾き比べているトラックがあるのです。なかなか面白い試みです。
バッハの無伴奏チェロ組曲第1番をメインとして、著名な小品の数々、
宮澤賢治の「星めぐりのうた」(林光編)も入っています。
昨年の夏、横浜国大管弦楽団の90回記念定期でドヴォルジャークを共演しました。
三宅さんがチェロトップの席での共演はこれまで数々あったのですが、ソリストとしての出会いは昨年が初めて。
深い歌心のある、素敵なチェリストであるという印象は出会ったころから全くかわりませんね。
ぜひ皆様も1枚!

来年以降のコンサートの日程調整やら選曲やらがあり、籠っていても事務作業に追われておりました。
北欧の弦楽合奏曲やウィンドオーケストラの曲を来年以降演奏する予定なので、あらためて楽譜や音源をリサーチ。
先日のアホさんの曲でもそうでしたが、フィンランドの現代音楽
(ことさら現代という断りもいらないと思うのですが)は、非常に自然体なものが多いです。
「聴きやすい」とか「メロディがわかりやすい」という意味の自然体ではありません。
この雑多な日常の中、現代の地球の上で聞えるであろう、
あるいは無意識に体内にしみ込んでいるであろう音の世界を、様々な語法で描いているように思います。

楽譜は非常に複雑であっても、あまり頭を抱え込んで聞かなくて済む曲が多い。
初めて聞いても、珍しい響きであっても、聴き終わると「なるほど!」と何かストンと心におちるものが多い。
演奏するほうは大変なのですが、楽譜通りに響きを作り上げてゆくと、その先にはまるで目に見える風景のような音の世界がある・・・。
アホさんの作品はまさにそういうものが多いです。
アホさんの師匠でもあるラウタヴァーラ氏の作品にも同様の音の世界があります。

少し楽典的なところで説明すると、ラウタヴァーラ氏もアホさんも隣り合わせの2度音程を多用します。
このことは以前にもブログで触れましたが、その効果というものは演奏者にはなかなか分かりにくいのです。
2度音程で人とアンサンブルすることはある意味苦行です。
非常に難しく高い音楽の能力が求められます。
しかし、その音風景を遠くから眺めると、なにやらラインが少しにじんだ風景画を見ているような独特の美しさと深さを感じるのですね。
二つの眼で見ているものを脳が情報処理している・・・あたかもその複雑さを描いているように感じる時もあります。

最近御縁のある日本の作曲家の皆さんの作品からも同じような印象を受けることがあります。
音楽・・・・って何なのか。
ある時代、ある作曲家、ある音楽文化だけがクラシック音楽という音楽であるわけではない・・・。
現代音楽という名前が「難解で未知のもの」という説明につながるものだけでもない・・・・。
我々はもっと広義の音楽芸術を日々産み出している。
それは作曲であり演奏であり教育であり・・・
トータルに人間の創造力という素晴らしい力に関わっているのだと思う。

文学・美術一般も含めて創造と観賞と文字や記号や様々な対象物から読み取り精神活動に変換してゆくという、人間ならではの歩みを止めてはいけない。
それは人間をやめてしまうことになる。

でも明らかに近代は人間たる能力を衰退させる方向に動いてきている。

この先遠い未来まで見渡してみると、地球上の天変地異と人間との闘いが始まろうとしているのでしょう。
生き物としての人間がどんな世界にしようとしているのか。
そこには人間の魂が宿った日々があるのかどうか・・・・。

コペンハーゲンでの答えは「人間」の答えだ。
20世紀までの様々な隠れた矛盾や抑圧が、未来の地球への人間の夢を阻んでいる。

折しも伊豆地方から関東を襲っている群発地震、地球の怒りに感じてしまう。
今朝も5時過ぎに揺れで目覚めた・・・。

 

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