秋深まる~大学~

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昨日はウィンドオーケストラの授業。良い天気に秋の木々の色も鮮やかでした。
この銀杏は大学構内入口なので、このまま残されることでしょう。
daigaku2.jpgこちらは見事な楓ですが、柵があるのが見える通り、移植されるようですね。
明日の演奏会まではおそらくこのキャンパスの紅葉も美しく残っていると思います。
ぜひお近くの皆様、足をお運びくださいませ!

14年間、母校音大の合奏にかかわっています。おもに吹奏楽、ときどきオーケストラという比率です。
音大を卒業していく管楽器の学生たちは、専門の楽器を手にいろいろな方面に力を発揮していくはずです。
演奏だけではなく指導も、そして演奏会を作る方にも、または楽器を製造販売する方にも。
どんな方面に進むにしても音楽というものに向かい合う時の「姿勢」「心意気」は、くにたちで学んだことを大事にしてほしいな・・・・と思うのです。そういう教育の場を作っていきたいものです。
これは反省と自戒の意味を込めて。

世の中「事業仕分け」で賑わっていますが、表面的な事象で判断することは危険です。
あの作業が持つ意味とこれからもたらす影響について、日本という国の根幹にかかわるような大きなことを行っているのだということを、関わる人も我々も意識していく必要があると思っています。

「国」という意識もあらためて考え直した人も多いと思うのです。「国家」と「国民」というものの距離も。
裁判員制度と並び、国民の意識改革には大きな役割を果たしたと思います。

「国」は「会社」とは違う。営業利益を上げる「会社」ではない。ということは私の考えです。

でも現実には国家が成り立つためには経済は必要で、しかしその経済が守り育てなくてはいけないこと、というものは結局は人間であり、その人間が育ってゆくために必要なことというのは、非常に多岐にわたり複雑なものを含んでいる・・・・その一種煩雑で不透明な部分を大きく包み込みながら運営していく「ふとっぱら」な国をどうやって作り上げるか。
前政権の失敗に対して脊髄反射のような対策だけではなくて、「生きる」という根源を「人間」というものを見据えた判断と政策を期待します。

間違えなく今の流れでは、我々がかかわっていることの大部分が「切り捨て削減」されます。
そのことに保身を表明するつもりはありません。他力本願である側面も多いのは認めます。
しかし、自助努力だけは賄えないこと、それは教育や研究・芸術活動一般にたくさんあります。
10年先、50年先の人間を考えたときに、本当に我慢するべきことはなんのか、切り捨ててはいけないことは何なのか、関わる我々自身も大いに悩み考えなくてはいけない事態だと思います。

まずは目の前の学生たちが「大きく育つ」ために、できることをしてゆきたいですね。
その結果が自分の演奏活動と卒業後にどこかでつながれたら何よりうれしいですし、自分の力で世界を広げてゆける学生を増やしてゆきたいものです。
先生の言うとおりにやっていればどうにかなる・・・・ような世界ではない。
自分の感性・才能と自分が向き合って道をさがしてゆかなくてはいけない分野です。
自己責任の最たる分野ではないでしょうか。誰も助けてくれないし。
自分の音は自分にしか出せない・・・唯一無二の存在であることを一人一人が自覚して学んでいってほしいなと強く思います。
周りにいる指導の役割の人間は、それを客観的にサポート、助言するだけです。
あとは「例」として、こんなこともあるのだ、こんなやり方もあるのだ・・ということとして見てくれればよいのです。先生たちを上手に使えるようなたくましさを持った学生が育つと嬉しいな・・・!
頑張れ、平成生まれの大学生!!(昭和の最後の人もいますね!)

 

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