8日に帰国しました。日本もずいぶん涼しくなっていたことにびっくり。
それにしても今回のフィンランド滞在は、気温の低い秋のはじまりでした。夏も暑い日は一日ほどしかなかったと、現地の皆さんおっしゃいます。北欧らしい夏と言えばそうですが・・・
いつもより少し短い滞在でした。ヘルシンキで必要なミーティングも終え、お会いしたい人にも会い、見たかったいつもの夕暮れの湖の光も出会うことができ、何よりシベリウス音楽祭で若い指揮者二人の取り組みから、また様々なことを考えさせられ刺激をもらいました。
そして英語・フィン語での会話の十日間は、10月の仕事に向けて実践の良い勉強の時間でもあり、これについては、毎年大変にお世話になっている皆さんに大感謝です。
マルヤッタさんご夫妻とお嬢さん、そしてミルヤさんことミクさん、この皆さんと今年も会うことができました。息子さんとは今回お会いできなかったけれど、もうすでに二人とも成人しているという・・・そうですよね、18年前です。はじめてラハティで1年間勉強したのは。自分がとっても時代に取り残されているような感覚さえ覚えます。
今回ヘルシンキで、フィンランドから依頼のあった相談事のミーティングもありました。その件は大使館にも伺いご相談して、そのお返事をもってフィンランドに行ったわけですが・・・私個人の力は超える物事なので、なんとか上手にしかるべき人の手を結んで成立させたいと思っています。
そのような物事が近年ふえている・・・と感じます。今の自分を作ってくれたフィンランド、フィンランドの音楽、音楽家の皆さんへのご恩返しも具体的にする世代時期に入っているという事も感じています。文化庁の在外研修生として奨学金を頂いての留学でした。その成果は学びを続けてちゃんとお返ししなくてはいけないと日々感じています。タクトを持っての指揮活動だけではなく、音楽文化、芸術文化が関わる様々な物事に囲まれている環境で、微力ながら力になれることがあればと・・思います。
今回も相談事の相手の方は日本語が達者なフィンランド人です。本当に達者なので一切フィンランド語を話さずに難しい話もできたことは幸いでしたが、逆に恥ずかしくも思いました。同じだけ自分は学びを積まないといけないと・・・自省です。その方との話の中で、日本の作曲家の名前も出てきた事は大変うれしく、こちらがフィンランドの様々な時代の作曲家を四半世紀手掛けてきていることと結びついて、更に音楽の共同作業も発展すればと願う次第です。
帰国しましたが九月中旬から移動の多い仕事の連続となります。
九州・大阪・名古屋・九州、そしてデンマーク出発となります。
一日も無駄にできない油断大敵の緻密な準備期間となります。
いろいろな企画の準備中でもあり、正直のところ自分があと二人いてほしいと無謀な願いがありますが、乗り越えます。良い仕事を積み上げてゆくための体制のようなもの・・・そのことも真剣に考える時期かもしれません。
指揮者としての階段の上り方、はたまた普通に歩いてゆくことも この先決して安泰ではありません。保証のない仕事、未来の不明な仕事です。感覚的には現在目の前に大きな壁、深い穴が広がっていると思っています。おそらく、特別な変化がない限りは、あと10年近くこの状態が続くでしょう。元気でその間、歩み続けることをまずは目標とします。10年後同じ状態であれば、その時は歩き方を考えましょう。おそらく何かが間違っているのです。自分について。
素晴らしい音の世界を作り上げている先人の音楽家の皆さんの背中を見続け、目の前にある作曲家が遺してくれた偉大な作品を見続けます。
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