2016年あと2週間!

 「世界」とは、こんなにもあっという間に変わってゆく。

「世界」とは、誰かの一言、誰かの心ひとつで、こんなにも残酷なものに転がりゆく

誰かのせい、では済まない21世紀はじめの四半世紀に予想される地球の危うさ。

自分が幼いころ、成人前までに思い描いていた地球上の姿とは、正直のところ現在は違ったものになってきていると感じる。
あるいは、其の頃の地球上の問題が何も解決されずに問題を引きずりながら時間が経っていただけなのだと思い知らされている・・・そんな気がしている。

持てる者たちの思惑、胸三寸で世界のバランスがあっという間に変化して、多くの民がゲーム盤のコマのように
もてあそばれている。20世紀でそんなことは終わらせたはずではなかったのか・・・
今や遠くの世界・・・という存在ではなくなっている他国の様々な悲しみ。みんなどこかでつながっている。
 

皆がどんどん高い壁を作り始めた。城砦を作り始めた。
少ない資源、少ない安全、皆が守りに入り始めた。内向きの意識と、狭い視野の危険性を知っているはずなのに。

絶対的な人口が減る定めの日本、少なくとも20年ほど前には対策の一歩が必要だった。
当時はそんなこと考えたくもないという雰囲気があった時代だが・・・

縮小規模の日本に必要な産業は何か、暮らし方はどう変化すればよいのか、
圧倒的な高齢社会にあって、未来の力を失わない社会構造の改革をなぜ始められないのか。

大都市にそびえたつ高層ビルの姿を眺めるたびに、この先の日本に必要な街の形は、
本当にこうなのか・・と、感じることがますます多くなった。膨大な数の飲食店と商業地、少ない人口による客の奪い合いが加速する。観光立国への転換!?ひたすらに外国の方による経済効果を期待する?ザ・日本ってなんじゃ?これまでの反動のように、「日本」を背負った素材を使った品物が増えている。雑貨、衣類、食品はもちろん、文化そのものの商品化も加速。自分はそのことは大賛成。もっともっと早くにそれを進めるべきだったと思う。やっと自分に自信を持てる国になるのか・・・・外から入ってくるものをもろ手を挙げて賛美する時代は終わった・・・自国にある、古来からある有形無形のものから生み出される新たな「モノ」や「コト」を、自分たちで自信をもってほかの国の皆さんにも、自分たちでも味わい、使い、繋いでゆく。

とは言っても自分はいわゆる「国粋主義」などでは全くない。むしろ高い塀や壁は無用と思っている。
でも世界中一律になる必要はないし、そんなことの馬鹿らしさの方を強く言いたい。
それぞれの持てる価値をお互いに認める、限られた資源や財は、知恵をもってシェアする。
人種も民族も文化も個性も多様でありそのことが生み出す豊かさを共有することが、人間のあるべき姿だと思っている。

国の優劣、人種の優劣、性別、個性の優劣を言い放つ人は、残念な人だと考える。
そしてすべてものに神宿る・・そう八百万の神々!という想いを持っている。モノにも、生き物にも、自然現象にも、すべてのものに「存在の必然性」があり、そこへの尊敬敬愛の念がすなわち、ものみな神宿るという想い。
それは小さなころからなぜか自然に自分の中にあった。畏れもある。
今音楽芸術の世界に生きていて、そういう文化背景を持つ作品たちに共感する部分が多いのは、自分のこんな心持が原因だと自覚している。一定の文化だけに、一つの文化だけに音楽が育ったのではない。ヒトがその魂を何かと交わしたところから、音楽が生まれている。大気の震え、共鳴・・そこにヒトが何かを聴いた。見つけた。さまざまな文化を背景に姿形をかえて各地で生まれ育った音楽芸術。音楽。
地球上の(時には地球を越えて)、その広い世界の音の喜びに触れていること、それにより生かされていることに改めて感謝している。そして同時にこの21世紀の人類の愚かしさに強く悲しみを覚えている。

そういう思考を常に自分に提示してくれる優れた音楽作品と向き合う日々を通して、あらためて偉大な作曲家たちのことを思う。古今東西、今なお生まれる新たな作品たちの創造主である作曲家、偉大なるもの。
演奏家はそのしもべである。

2016年のラスト2週間、混迷の世界はどうしようもなく右往左往している。
 

 

 

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