バンベルク響とブロムシュテット氏そして・・・・

 11月もあっという間に半ばに入ります・・
速い・・・早い・・・速い・・・・・

昨年の忙しさとは全く異なる感覚で、時のスピードをひしひしと感じる。

なぜ、そう感じるのか・・・
先日会話の中でヒントを見つけた。
「目の前の仕事よりも、先の仕事、未来の準備をする仕事に変わって、月日のスピードが違って感じる」

こう話していた知人の言葉に、「!!そうじゃ」と深くうなずいた自分。

今年は未来への準備、仕込みが多い1年。(まだ50日ほど残っていますが)
関わる仕事の1年先、2年先などの準備のためにいろいろなことを始めている・・
そのペースがこれまでと異なるということか。

半世紀生きてきて、節目節目にそういう歩みの年があった。
次への階段が見えているし、壁も見えている、扉も見えている。やるべき課題も山積み。どの方向に行くのか、
階段を昇るのか、下るのか、壁を超えるのか、立ち止まるのか、扉を開けるのか、まだ開かぬのか・・・
すべて、日々の歩み方で変わるであろう。若いころは様々なステップの勢いもあったが、今は静かな蓄積と
確実な歩みが何より自分にとって大事であると感じるし、この重くなってきた身体心身もそのように歩まなくては運べないと実感している。

さて、先週 バンベルク響 マエストロ ブロムシュテット指揮の公演を拝聴した。
モーツァルトSym34 そしてブルックナーSym.7

バンベルク響は自分の若いころ、ホルスト・シュタインマエストロの時期、
そこで勉強したいと願いマエストロとお話の機会をいただき、そして叶わなかったところ。

コンクールで賞を頂いた後、ヨーロッパで更に勉強をしたいと思っていた。そのための準備も不足のまま動き出した、愚かな自分であった。シュタイン氏の指揮、音楽は札幌から東京に戻ってきてN響定期会員になってから数多く拝聴していた。当時のN響のマエストロの方々、マタチッチ氏、サヴァリッシュ氏・・・小学生高学年から拝聴していた。幼い耳の自分にはその奥深さは当時きっとわかっていなかった。オーケストラが好きで、ヴァイオリンが好きで、コンサートマスターにあこがれていたという幼き自分は、見ていたのはいつもコンサートマスターの席。今思うと本当に「もったいない!」 

1991年のコンクール入賞で海外往復の副賞をいただいた時、真っ先にシュタイン氏のところに行きたいと思っていた。バンベルク響も非常に好きな楽団だった。ご紹介をいただきリハーサルを拝聴し(ベートーヴェンSym.6だった。リアルに覚えている)そのあと、少しだけお話をさせていただいた。当時本拠地を持たないバンベルク響、移動が多くマエストロ自身もひとところに留まっていないという状況であることを説明された。よって、受け入れることが難しいと。
私自身も語学を含め、生活の体制など様々考えて マエストロにすべて同行しての勉強の方法は当時困難と判断。無念だったが、様々な意味で力不足の自分が原因であったと思う。そしてほかのご縁をいただき、ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団で自由な形で勉強させていただく機会をいただき、ハンス・グラーフ氏の下でのリハーサル・公演に立ち会わせていただき、歌劇場の仕事にオーケストラが入るときは 潜ってその仕事を拝聴拝見。あわせてウィーン、ミュンヘン、ベルリンといろいろなオーケストラやマエストロの公演に伺っていた。それは本当に大きな学びを得た日々であり、短くはあったけれど自分の思考や姿勢が大きく変化した時期だった。家庭の事情もあり半年ほどで帰国したが、あの時期の滞在、自由な形での学び、ドイツ語の研修などはその後の方向転換のためにも、必要な核となるものだったと今は振り返ることができる。

モーツァルテウム管のコンサートマスター、トマジ氏とはその後もご縁があり、日本でのオペラ公演でコンサートマスターとしてお迎えしたこともあった。彼とモーツァルトについて話したことは、ある意味自分の帰国を決断させた要因でもある。プラスの意味で。

さて学びたいと思っていた当時のバンベルク響には、ホルンに水野信行さんが在籍されていたことは後から知ることとなった。今回のパンフレットにも温かな文章を寄せられていた。水野さんとは長野のアンサンブルNOVAでご縁を頂いた。美しく豊かなホルンの音色に、当時のバンベルク響へのあこがれが蘇った想いだった。
オーケストラの音色・・・特徴的な音色を持つ楽団、時間をかけて積み上げられた音色、そのようなものに自分は強く惹かれる。オールマイティではないが、これぞ!というものがある響き、特徴を持つ楽団。

この日の公演も限りなく美しい響きが、オペラシティコンサートホールに満ちていた。

ブロムシュテット氏の出会いも、バンベルク響にあこがれていた時期と同じ時。
1990年秋にはじめての海外コンクール、ブザンソン国際指揮者コンクールに参加。バタバタ劇の中でコンクールがすすみファイナル審査のためのリハーサル期間中、サンフランシスコ響とブロムシュテット氏がブザンソンの街に公演にきていた。街中から少し離れていたが歩いて会場を往復したことを覚えている。ブラームスのSym.2がメイン。正直のところ印象はよくなかったのだ。「スゥイングするブラームス!!?」なんじゃこれは。という想いでぶつぶつと独り言を言いながら、ブザンソンの宿に戻ったことはとても覚えている。指揮姿も記憶に残っていて、それは現在とあまり変わりがない。現在の方が姿勢よく、身体の振幅は少なくなっているが、基本的な立ち姿はお変わりないように思う。もう26年前だが・・
現在89歳のマエストロ。ということは当時・・・63歳!!非常にお若く感じていたが・・・・
現在もますますお若いマエストロ、やはりエネルギーが凡人とは違います。

そのマエストロとはまずはニルセンの録音で再会して、一気にその素晴らしいお力に惹きつけられた。
そして、N響客演のシベリウス公演の時にリハーサルをすべて立ち会わせていただき、少しだけお話の機会もいただいた。2003年と2008年。
マエストロは宗教家としてのお姿もある。以前そのお姿でお話をされている場にお招きいただき多くの方とともにお話を拝聴する機会があった。それはそれは本当に荘厳という言葉がぴったりのお姿であり、空気を作り上げられていた。厳格さと温かさが同居する、まことに強固な人間性。その厳しさはおそらく自己に常に向けられ、長い音楽人生の歩みを力強く歩かれる原動力となっているのだと思う。温かさは作曲家、作品に注が
れ、作品への愛情は演奏者と共有しようというリハーサルでの熱意と妥協のない追求になり、最後には客席に大きな深い感動となって広がる・・・・

この日の公演はC-Durの交響曲から始まった。当初の予定の「エグモント序曲」から、モーツァルトの交響曲第34番に変更。変更の理由は様々かと思うが、正解だったと感じた。
C-Durの持つ意味が、この日のホール会場のデザインにマッチして、そしてその深い意味を感じさせてくれる響きで始まった。青年のようなモーツァルトへのアプローチだった。

後半のブルックナー交響曲第7番。自分はまだこの作品を自分で指揮できるまでの勉強ができていない。詳細は語れない。ただ一つ、作品の和声構造がとても自然に限りなく自然に、美しく表現されていたことは強く感じた。それはオーケストラ側の和声感のしっかりした耳と音色の選択も理由にある。この作品の指揮の時に、宗教家としてのマエストロのお姿が何度もよぎった。細部の丁寧さが冗長や停滞を感じた人もいらしたかもしれない。自分にとってはそれはこの作曲家を手掛ける時(まだ4番と6番のみだが)大切にしたいポイントであり、まだ自分には高みの作品と感じている7,8,9番の後期の交響曲への目指したいアプローチであったと感じている。

作品を使って表現するというものではなく、作品そのものを語らせる力というのは演奏者側の気の遠くなるような蓄積が必要だと、この年齢になってますます感じる。目指すほどにそれは遠のき、きっと永遠なる追求となるのであろう。でもそれを喜びとしていることを強く感じるマエストロの姿勢、演奏に出会う度に、音楽家としての在り方を強く教えられる。
シュタイン氏もその指揮姿は派手なものではなかった。見学していたベートーヴェンも、小さな動きの中にすべてが詰まっていた。眼光の鋭さの中に、求める強さがあった。

音楽界というものは時代の中で変化があるものだが、音楽というものは原始の世界から変わることはないな・・という想いで人生後半取り組んでいく。

長くなったが・・・(最近ものを書いていない反動!?)ボケ防止という側面もある・・・

写真は、先週の公演プログラムと、2008年時のマエストロN響客演の折の楽屋での写真。

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