R.I.P中村紘子先生

 まだ信じがたいという想いを抱えていますが、日本のピアニストの代名詞と言っても良い中村紘子先生が天国へ旅立たれた。演奏家としてのご活躍はもちろんだが、数々の執筆活動からも大きく広い才能を発揮されていたことがわかる。N響アワーでの解説の佇まいは、独特の気品と厳しさとユーモアを感じさせて 何とも優雅な空気をお茶の間に届けてくださっていたと思う。まだまだこれから熟成した演奏活動と若い音楽家を厳しく温かく見守り育てる教育活動と、音楽界の柱として厳しい視点をお持ちになりながら活躍されると信じていた。

自分はたった一度だけ、直接の接点があった。

何ともお恥ずかしいが、小学校六年生の時に公開レッスンを受講している。
これは当時の私のピアノの先生がいつのまにか申し込んだもの。右も左もわからず、いつの間にかそのステージにいて、ショパンを弾いていた自分に対して、当然のことながら中村紘子先生の厳しいご指導があった。

ほんの少し弾き進めたところで、手をつかまれた・・・
「何を考えて弾いているの?」

まったくもって当然です。専門家になるというような視点を持たずに、ただただ指の動くまま弾き散らかしていた子供の頃の自分。譜読みだけは早かった。ただそれだけの自分。楽譜を無視していつの間にか即興の世界に入り、いつまでも弾き続けていたという、作曲家から拳骨を頂くような自分。今現在の私が当時の私を見たら、烈火のごとく怒っているかな・・・・「楽譜をちゃんと見なさい!」と。(@_@;) 

当時30代前半でいらした中村紘子先生は眩しかった。お美しくそして、香水の香りが記憶に残っている。
この記録写真を見ていただければ、ほかの受講生の皆様の冷たい視線・・あきれた視線がお分かりいただけると思う。そんな有様だった当時の私。こんな貴重な時間を頂いたのに、いったい何をやっていたのか・・と気がついても遅いです。

指揮者という仕事を続けてゆく中で、いつの日か先生との接点が・・・と夢見ていたが、不遜な夢であった。
あとは、天国でいつかお会いできたときに、指揮者として人生を終えたと認めていただけるような活動を継続するだけだ。

中村紘子先生のご冥福を心よりお祈りします。

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