黙祷 東日本大震災から4年

東日本大震災から4年が経過しました。
 
2011年3月11日の自分のWebサイト・ブログを読み返しました。
関西にいて大きな揺れを体験していない自分です。
それでも自分の文章から当時のことは鮮明に浮かんできます。

4年目の状況がどうであるのか、復興への歩みの検証も多くの方が行っていると思います。明らかに1995年とは異なります。しかし比較はできません。
環境が違います。地形が違います。範囲が違います。被害状況形態が違います。
もう一つの事故災害があります。

人の力の結び方と、被災された住民の皆さんの復興への歩みを1995年の大震災から多くを学びながら、東日本大震災はもうひとつ大きな課題とともに、日本のあり方を含めて考えなくてはいけないことを引き起こしています。

多くの尊い命、積み重ねてきた土地の歴史、われわれをはぐくむ大自然、それらの大きな犠牲から得ている教訓を、まだまだ命を繋いだ自分たちは未来への良い道筋に生かすことができていないと感じます。
個々のレベルで解決できる問題ではないと感じる大きなモノに対して、お手上げで傍観ではなく、身近な生活レベルからの未来への積み重ねを続けてゆくことが急務なのだと思います。


浪江町には、おそらく母は二度と行くことはできない。
原ノ町、小高の親戚も、戻ってはいるけれど街自体の復興に難しさを感じている。
富岡町出身の伯父は東京で故郷の会をまとめる活動をしている。


自然の大いなる力には人間は無力である現実は度々突き付けられてきた。
ならば、共存の道しかない。地球に生まれたひとつの宿命であり人類の課題。
被害を最小にくいとめる知恵をはたらかせよ、と自然から教えられている。

それ以外のことは、人間が作り出した結果であり、人間の責任で解決しなくてはいけない。
そのことを考える思考バランスが崩れてきていると感じるこの頃。

何を守り、何を遺すのか。遠い未来をみることは、決して今を粗末にすることではないと思う。

水に流すこと、やり過ごすこと、まあまあの精神、なんとかなるやの精神、
この日本のある種の文化を使う場所を間違っているように感じる。

21世紀は地球にとって本当に試練の世紀になると思う。
それは、地球人が地球のことをある程度理解認識してしまい、全世界のことを同時に見て、考えることができてしまう時代になっているからこそ、抱える問題とむずかしさを持っているから。

知らなかったから・・わからないから・・・という20世紀以前の状況とは、まったく違う。
知っているから、どのような結果になるかわかるから、
それが歯止めになる場合もあり、それを利用することもあり、

つまり、本当に人類は自分の力を試されているときに入っている。

大いなる銀河系、大宇宙のどこかには、きっと別の生命文明を持つ星があるだろう・・・と、自分は思っている。
子供じみた考えかもしれないけれど、そんな異星人に、素晴らしい地球をみてほしいと思う・・・
自慢できる星にしたいと考えては、おかしいでしょうかねえ・・・・
 
大震災の犠牲者にあらためて哀悼の意をささげます。
そして、この教訓をなかなかいかせない今の状況に、大人世代の自分として腹立たしく情けなく想い、
次の世代の子供たちの顔を見るたびに、なんとかせねばと考える日々です。
 
無力を痛感しますが、微々たる力でもできることを続けてゆきたいです。
 
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