Universe

先週の名フィルさんリハーサル時に、マエストロがシベリウスのSym5に対して、シベリウス研究者が語っている一節を引用されていた。その中に「Universe」という言葉が入っていた。
シベリウスの作品は、世界・・・もっと広く宇宙をイメージ・・・というより宇宙そのものが描かれていると言われる。自分もそのように思う。

物事の存在理由の究極まで突き詰めた世界を作品にみることもある。
孤高の姿と評されることもある、人が存在しない、出てこないと言われることもある。
一方、厳しく自己と対面している作品であるものもある。人間臭さを避けている人ではない。
その生涯は仕事においては厳しかったが、非常に人間臭く、若いころの放蕩の姿、50歳を過ぎて様々な苦しみから逃げていた情けない姿、賢妻アイノさんの目から見たジャン・シベリウスは時々容赦なく描かれている。

どんな人間でも本当に一人で生きているということはありえない。
たとえ人が周りにいなくとも、生きる糧は自然の恵み、誰かが、何かが造ったものから得ている。
それは一人で生きるということではない。必ず繋がっている。
シベリウスが1903年以降静けさの中で生活し、家族にもその静寂の順守を強要していたけれど、
シベリウスがつながりを持ったのは、目の前に展開するひと時も同じ姿のない自然の様。
決して完全なる孤独ではない。自然の生み出す世界に積極的なつながりの視点を持っていなければ、あのような作品は生み出せなかったと思う。

自分は宇宙の生成はとても興味があり、小学校2年生のある夜にそれを考え出して、自分の生命に考えがおよび、恐ろしくて眠れなくなった一夜を記憶している。
興味がありながら科学物理は苦手なので専門的な事は何も言えないが、すべてのものが物質でできていて、
それが様々なレベルでつながり、集まり、物体になったり、生き物になったり、社会になったり・・・と、結局はすべてがリンクしている。

一つの現象には恐ろしく複層的な原因が存在して、理由は一つではない。
目の前の現象が良いことである時、日本人は「お陰様」と表現し、悪いことである時「・・・のたたりか」ということもある。科学的な原因究明ができる現代でも、その表現は変わらない。

今日夕刻に見ていたある報道番組で、非常に胸糞悪くなる状況を知った。
自分は逆立ちしても、生まれ変わっても「富裕層」なるものにご縁はない。そのため、単なる”僻み”と言われても仕方がないが・・・・・富裕層がどうして富裕層でいられるのかを、深いレベルで考えてほしいと痛切に思った。
某大国の富裕層が自分たちの権利を守るための自治体を新たに生んでいるという報道に、耳を疑った。
そして同時に「おしまいだ」と思った。

自分もこのウェブサイトにずいぶん乱文を書き残しているけれど、時々数年前のエッセイを読み返してみて、
その頃漠然と感じていた「危うさ」が今なお加速度を増して世界を覆い尽くそうとしていること、人間は悲しいほど愚かであるという現実を突きつけられている今の状況に、無力感と怒りを感じる。

ただ、以前も書いたことだが「怒り」や「恐れ」に飲み込まれると、判断はとてつもなく加速度的に袋小路に迷い込む。愚かなほど信じること、馬鹿だと言われようが 理想をあきらめない事。そのことを自分に再確認しなくては・・と意識するほど最近の地球上の状況はとても危険だと思う。

ある部分、時に任せなくてはいけないと思う。
哀しい時間も生まれるかもしれない。それでも、何かから「叡智」「知恵」「知能」という財産をもらっている人類、
どこかで踏みとどまれるのではないか、そう思う人が地球上で新たな繋がりを生み出せるのではないか、
それを強く心で願い信じている自分。

音楽の世界は古より、宇宙とつながり、世界の生成にかかわり、人間の魂の平和に貢献している。
一方その反対の働きもある。それをわかっていたギリシャの人々・・・調べるほどに凄い社会であったと感じている。

音楽が生み出す現象や社会の形、そのことも音楽文化には大切であるけれど、
自分はもう少し原点に視線を戻して作品や演奏という行為に向き合っていたいと思っている。
どんな活動でそれが表現できるかまだまだ暗中模索であるけれど、Universeを強く感じる素晴らしい作品たちとともに、音の世界を通して社会に深くかかわってゆきたいという気持ちは大きくなるばかりだ。

私の父はロシア語のスペシャリストだった。言語学、そして社会学を学んでいる。
言語の世界を通して社会と接し、言語教育に従事していた。
母は栄養学が専門。食という人間の基本について日々の生活で家族に料理で語り、また仕事場で栄養指導や料理指導を通して、生きる基本を見つめてきた人。年齢を重ねた今、母自身昔よりルールは緩くなってきているけれど、それでも今なお私は母に体調管理をお世話になっている。(最近「野菜を食べなさい」という発言が少なくなっていて、ちょっと驚いていますが・・・)

久しぶりに駄文を書きました。
本当に頭が働かなくなっていたこの頃(1,2年ほどでしょうか)
コントロールできない忙しさをこなすことに意識が集中して、能動的な学びや、目的遂行の自分のレールを築くことができなくなっていた状況を自覚しています。
一時停止をこの春短い間ながら行って、驚くほど自分の脳みそに「スペース」ができました。
そう、PCの不要なデータを削除して、ハードディスクを軽くした感じです。
仕事の上で何かをやめたわけではないのですが、抽象的な意味で片づけをした感じです。

ということで、
番組を見て、ある種の「エゴ」に怒りを覚えたので手が動きました。「エゴ」は必ず存在する。
でも使い方を間違えると世界を破壊します。

某大国のトップは明日来日だそうです。
主要駅のロッカーが使用できません。ごみ箱は何とかなっても、ロッカーが使えない状況は通常の旅行者にとってみると、大変に困ること。交通機関、道路網も大きく影響をうけるようですね。その位影響力のあるトップの方。どうぞ世界を間違った方向に曲げないでくださいね。

 

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