新日本交響楽団第91回定期演奏会終演

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1416名のお客様ありがとうございました。

指揮者生活始まって以来の体験をしてしまったコンサートとなりましたが、
アクシデントの対処について、自分の反省が残りました。
怖い思いをお客様にもおかけしてしまいました。申し訳ありませんでした。

2回目の共演となった、新日響、
前回同様、ワーグナーで幕をあけました。よい流れと、次第に増す響きに私自身も非常に落ち着いていました。
2曲目、シベリウス#6.この作品の難しさ、怖さ、そして魅力は「壊れそうな構造」
リハーサルを積んでもその怖さは存在する。おそらく複層的な理由で発生したハプニング。
大事なのはそこからのリカバーの力。
6番は自分のシベリウス演奏の中でも回数は多い方。どこか自分の中に油断があったのかもしれない。
再開してからの新日響の皆さんは次第に集中力も増し、最終楽章は美しい響きが生まれていた。

後半、メインのドヴォジャーク#9、こちらも第2楽章の美しさはリハーサルの積み重ねが生きたと思った。ソロ楽器の素晴らしさとともに、静かな美しさにオーケストラが集中していたと感じた。
4楽章の最後まで、セクションごとの頑張りが緊張感の中に続いていた。
お客様からは、暖かな熱い拍手をいただいた。指笛などもなった。
いわゆる「超」有名曲である「新世界より」は、簡単な作品ではない。とても難しい作品でもある。
それにあらためて取り組んだ今回、自分でも再発見はいくつもあった。手あかにまみれがちな作品、
そこに厳しい目を持って作品に向き合う努力は今後も続けたい。

公演の音楽的責任は指揮者にある。精進あるのみ。
関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

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終演後、

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打ち上げにて

この後私は岐阜に向かいました。

 

 

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コメント

コメント一覧 (2件)

  •  シベリウス6番はとてもデリケートな造りの曲だと思っていましたが、演奏する方々にとっては、気をつけていないとすぐ迷子になる深い森のたたずまいに似ているのでしょう。いつも通り「これがシベリウスだ」という繊細な響きを紡ぎ上げてくださりありがとうございました。
     金聖響さんによれば、「新世界」のように、あまりにも知られすぎている曲は、オケの皆さんや聴衆に山のような先入観が堆積している。それらを全て払いのけて、自分の演奏したい「新世界」をステージで響かせるのには大変な苦労が居るとのことでしたが、ちゃんと新田流「新世界」が鳴りわたっていましたね。ただ、期待していた(し過ぎた?)躍動感がもう一つで「東奔西走で、お疲れなのかなあ」と心配になりました。

  • >junsinさん
    お返事大変遅くなりました。デリケートな作品に対する畏れ、準備はしていたつもりでも、本番には魔物が棲むというのは本当だと実感しました。
    体調管理には気を付けます。いつもご来場ありがとうございます!

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