先人に学び、歴史に学ぶ そして祈る・・・・・・・

何かの講義のようですが、
つくづく自分のやっている仕事や勉強というのは時間軸を行ったり来たりしているな・・・と、
あらためて思っているわけです。

この週末に始まるアンサンブルフランは、次回なんと「チェコ音楽」というくくりで選曲しました。
お弟子様の領域に踏み込んでしまうのですが、実際
スク作曲「聖ヴァーツラフの主題による瞑想曲」
この作品を教えてもらって今回のプログラムの選曲となりました。
愛国的三部作の中の1曲目ですが、実に美しい作品です。

A.ドヴォジャーク 1841-1904
L.ヤナーチェク 1854-1928
J.スク 1874-1935

この三人の関係はチェコ音楽に興味のある方なら皆さんご存知の通り、深いかかわりがあります。
親友の関係、子弟の関係、親戚の関係・・・・
そしてチェコという国が歩んできた長く重い歴史についても知らないと始まらない曲を冒頭に持ってきたおかげで、リサーチする内容が膨大になっています。
聖ヴァーツラフを知らずしてチェコは語れない・・・・と言ってもよいですね。

横に縦に後ろに前に・・・・と、歴史や文化のリサーチはその関係の糸があちらこちらに張り巡らされています。
でもそこをじっくりと辿ってゆくと、不思議とスコアの音符も自然に身体に入ってゆきます。

ヤナーチェクが抱えもっていた自国の文化と隣国の文化とのきしみへの怒りや疑問など、
彼はとても激しい形で表にそれを出していたけど、同時代の多くの作曲家たちが同じような心を抱えていたであろうこと、想像できます。
強国と支配される国との関係、そのめまぐるしい入れ替わりの歴史などなど・・・・
すべてが政治だけの世界ではなくて、そこに生きる人のあらゆる文化にかかわってくる。
言語の支配ということも20世紀初頭まで各地でみられていたことで、そのことによる民の心の抑圧と、裏の舞台での発散など、そこにもある種の芸術の爆発が生まれている。

20世紀から21世紀の恐ろしい時代、つまり人間が自分たちでコントロールできないことを始めていること~
そんな時代にいったいどんな芸術文化が生まれ後世に残ってゆくのだろうと・・・ふと、考えてしまった。
現在自分が一番享受している20世紀の音楽たちを次の時代に運ぶことはできるのだろうか・・・

3月10日、昨年の今日は兵庫県の山奥にいました。
R大学のオーケストラとの初顔合わせ、そして合宿。あの日も冷たい雨が降っていたように思います。
宿舎はなかなか寒かった・・・。
そして3月11日を迎えました。

この週末は自分は通常のとおりリハーサルを持っています。
特別な行事はありません。
でも 11日は今一度自然の脅威の前に犠牲になられた皆様への祈りをささげたいと思います。
そして被災され今なお厳しい日々を送られている方への支援を継続してゆくことを心に誓います。
現在の自分ができることは微々たるものかもしれませんが、様々な形でそれをずっと続けてゆきます。
同時に、現実問題として今は自分にも降りかかる可能性が大きいわけで、
真剣に備えを考えてゆきましょう・・。

そして数年以上立ち入りが難しいという発表がついにされた母の故郷、
その浪江町だけではなく同じように危険な地域を今後増やすことのないこの国の姿勢を
社会に生きるものとして厳しくみつめ模索したいと思います。

文明が生まれて人類の社会の歴史が始まってから、
膨大な失敗と反省の積み重ねがある・・・それが歴史です。
人間の智慧がなぜ授けられているのか・・・
芸術活動の中でもその答えを探してゆくことはできます。

さて、
この週末はキャリーバックの登場です
鍼灸院で治療をしてもらいましたが、背中、腰、足の痛みがどうやら胃腸につながっていたようです。
元気を取り戻してリハーサルに向かいます。

 

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