同志社女子大学は近鉄の沿線。途中に桃山御陵駅があって、気になっていました。
月曜日、火曜日はそれまでの蓄積した疲労が噴出!という状態で「どこかに・・・」などとても考えられず、
でもさすがにカビが生えそうな心身は良くない!と、授業前に出かけました。
ここは伏見史跡「坂本龍馬の寺田屋」
現在も宿泊ができるそうですよ。
坂本龍馬が襲撃を受けて負傷し脱出したのは1866年の1月23日だそうですが、シベリウス誕生のほぼ一カ月後という時代ですね・・・1865年12月8日がシベリウスの誕生日!明日だ!
お龍さんが入っていたお風呂!
寺田屋は船宿で、もちろんそばには川がありました。
宇治川に流れ込む支流のようです。
この近所には創業1781年の駿河屋という和菓子屋もありました。
ということは、モーツァルトが生きていた時代でありますよ。
ということで、三色だんご、買ってみました。
さて授業は、集中練習三日目に突入。
ラーションは益々美しくなってきました。新曲も少しずつその姿を皆で解読しつつあるところです。
まだまだ・・昇るべき階段は多い・・・
シベリウス・・・こちらもシベリウス独特の語法に迷子になる学生も多く、しかし共感を持って奏でてくれるようになってきたところも多く、1週間後に向けて更に積み上げてゆきます!
そろそろ週末の「第九」リハーサルの準備も本格的に。
明日は龍谷大学のリハーサルも待っています。
年始の仕事の楽譜も持ち込んでいます。今回、本当に鞄がたくさん!!!(もちろん宅配便利用)
コメント
コメント一覧 (2件)
基本的な誤解をされてらっしゃるようですので、
卒爾ながら申しあげます。
1)龍馬の池田屋事件は、慶応2年1月23日です。
当時の西暦でいえば、1866年3月9日なので、
シベリウスの誕生日1865年12月8日の
ではなく、およそ3か月後、です。また、
2)当時の池田屋旅館は鳥羽伏見の戦いで焼失してます。
現在の池田屋旅館は当時の場所の隣に建てなおされ、
経営者もまったくの無縁者です。
風呂もお龍さんが入ってたものではありません。
それから、余談ですが、
この伏見油掛町の「駿河屋」は伏見京町の「総本家駿河屋」から
に”暖簾分け”した、と謳ってる店です。そして、
“油掛本店のみで販売してて、百貨店等には出店してない”
と、多角的店舗展開をしてる「総本家駿河屋」に対して
皮肉っぽく言ってるように仲はよくないようです。
「総本家駿河屋」は応仁の乱より前の寛正2年(西暦でおおむね1461年)に
「鶴屋」という屋号で饅頭屋を始めました。
天正年間には秀吉の大茶会で羊羹が引出物にされました。その後、
徳川頼宜の御用達になり、時が下って頼宜の孫綱教(吉宗の兄)に
将軍綱吉の息女鶴姫が輿入れしたために
「鶴屋」という名をはばかった替わりに
徳川頼宜ゆかりの「駿河」を屋号に下されました。
一事が万事、
音楽作品の再現をする際にも、細心の注意を払って
作品の考証をなさらないと、その本質を見誤ります。
お気をつけください。
>passionboo様
貴重な考証の御意見ありがとうございます。
受け取ったパンフレットの記載だけで当方は判断しておりましたので、今後は気をつけなくてはいけませんね。
最後の一文はごもっとも、楽譜の際は複数の資料から判断します。
ご提言ありがとうございます。