Jean Sibelius 命日なり

1957年9月20日午後9時15分、ジャン・シベリウスは脳出血により亡くなった。91歳。その二日前にアイノラ上空を、ツルの群れが飛ぶのをみているシベリウス。そのうちの1羽が群れから離れて、家の周りを一回りして、また群れに戻ったという風景が語られている。ツル・白鳥・という鳥たちの姿はシベリウスの作品にも多く現れる。

北欧の二大巨匠ノルウェーのグリーグも9月に亡くなっている。1907年9月4日。敬愛していたグリーグからほぼ50年後に、天国に上ったシベリウス。逝去の報は世界を巡り、その十日後9月30日には国葬が行われた。文字通りフィンランドを代表する作曲家として全国民に見送られた。実は同じ日にフィンランドのヘイノ・カスキという作曲家も亡くなっている。紙面にもその報は掲載された。カスキの名前はあまり一般的には知られていないが、ピアノ曲のPankakoski(激流)を弾いたことのある方は多いかもしれない。管弦楽作品では私自身は作品7の前奏曲を複数回演奏している。旋律の美しい、大変にロマンティックな作品を遺している。歌曲、ピアノ曲が多い。その中でSinfonia-hmollという30分弱の大きな編成の交響曲がある。1919年作曲。Music Finlandのサイト上でプロモート用の楽譜を閲覧することができる。冒頭からバス・クラリネットが大活躍。オーケストレーションを一見すると、やはりシベリウスの影響を感じる部分は多いが、一度どこかで音を出してみたいと思う。

自分の北欧作品リサーチと演奏の活動も断続的になっているが、来年からは密度を濃くする予定。今年の様々な公演キャンセルで機会がなくなったシベリウスの交響曲演奏のことは非常に無念だが、いずれも延期されて機会が未来に予定されている。その時を目指して更に勉強を進める。シベリウスの交響曲を演奏会で全く指揮しない年は、この20年のなかで初めてだと思う。

今年はアニヴァーサリーということもあり、ベートーヴェンとのご縁が深くなっているが この時代の作曲家を更に勉強してゆくことは、同時にその後の作品の読み方も変わってくる。ベートーヴェンの資料は世界的にも国内の出版物でも山ほど存在している。北欧各国の作曲家についてもそのような状態で読めるようになってほしい・・・と、そのための一歩の活動も継続していく。楽譜が存在しているだけでは誰にも聞こえない音楽作品。演奏する人が作品・作曲家に深くしっかり向き合って、その中に眠る音の言葉をステージで花開かせる。素材の持てる力をとことん生かす料理とある部分同じ姿勢を持つ。
このところ配信サービスで、料理に関するドラマを続けてみていたこともあるが、その仕事の近似値を改めて強く感じている。客席に足を運んでくださるということが、どういうことであるか。演奏家は何をしなくてはいけないのか。どんな場を作るのか。何を大切にするか・・・。この仕事で生きていく様になって30年を経過する中、そのことはずっと考え心に持っていたつもりだったが、まだ自分の中に不足することは山ほどあるということを、いろいろなことから教えられているこの頃。

シェフが自信をもって料理をおだしするように、音楽のシェフはオーケストラとともに音の一品をホールという空間に、時の流れという皿に載せておだしする。
来月から愛知室内オーケストラでのラスト4回の公演が続く。いずれも同じホール。お客様の心に作品の美味しさと、ともにその味を探り当てたオーケストラの響きの味わいをしっかりお届けできるように、シェフとしての仕事をする。

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