同志社リハーサル第二弾

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週末は同志社交響楽団リハーサル第二弾。土曜日はあいにくの雨、三連休の初日、行楽にでかける東京駅の人々も雨傘を片手に・・・・

京都駅も人は多かった。観光シーズンが始まっている。

悲愴の弦分奏、仮面舞踏会の合奏、ルスランとリュドミラの合奏と土曜日は続いた。
個々の音がだいぶクリアーになってきた。まだまだロシアの魂の叫びを聞きたいところ。

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リハーサル後の食事会。和食でした。美味しかったです!ありがとう!今年と来年の執行回生です。
平成のお生まれの皆様!母親の気分(^^♪

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日曜日。京都は晴れました。非常に爽やかな朝。
 

午前中は部屋でゆっくりして、「経済」の勉強を。
テレビで「マルクス、資本論」のわかりやすい解説番組をやっていて、ついついじっくりと見てしまいました。
自分がもっとも苦手とする分野です。しかしそうも言っていられないこと。

頭の中の資本論を追い出して、午後からチャイコフスキー。
昨日も顔を出してくれたOB達がこの日も参上。練習も聞いてくれました。
大事なことだし、嬉しいことだと思います。時代をつないで行ってくれるのは卒業していった人たちが、
現役を振り返ってくれること。逆は難しいことだから。

「悲愴」はかなり進歩したところと、根本的に意識の改善が必要なところと明確にわかれている現状を見つける。その対策は、チャイコフスキーの作品が持つ「誰の心とも共感をもってつながることのできる作品の魅力」
をどのように演奏で紡ぎ出してゆくか・・・・。
チャイコフスキーについての資料も書かれたものも比較的多いが、いずれも指摘するポイントは「大衆性」
それは決して品質を貶める言葉としてつかわれているわけではなく、その音を聞くだけで、誰にでも感じ取ることができる「心」の存在。その部分を表現していくときの演奏者の姿勢、意識。
知識や理屈として「どのような作品か」を知っていても、それだけではどうにもならない。
ホールをその作品の心で満たし、客席にちゃんと届けること。
残りの時間はそこに集中ですね。「ちゃんと聞えるため」の細部の整理整頓も必要ですが・・・
大丈夫!
あと一歩はきっと昇れることでしょう。

大曲のリハーサルのあとはお腹もすきます。
聞きに来てくれたOBと現役の皆さんと一緒に大学の傍の中華料理店へ。
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美味しかった。
 

千葉に帰りついたらほとんど12時。(^^ゞ
そしてパソコンを開けたら大不調。諦めてそのままにして休みました。翌日は朝からリハーサルなり!
同志社の皆さん、次はもう直前ですね。最後の追い込み、がんばってゆきましょう!

コメント

コメント一覧 (2件)

  • はじめまして。
    音楽好きなド素人です。
    「名曲探偵アマデウス」、拝見いたしました。
    あの冒頭の弦は「波」を表してるのですね。
    私個人としての感想ですが、
    mfからクレッシェンドして、またmfからクレッシェンド、
    というように(自筆譜は知りませんが)、あの波は
    「寄せては<<<、>>>返す」のではなく、
    「寄せては<<<、<<<また寄せる」
    という印象を持ってます。今度、
    「悲愴交響曲」を振られるのですね。
    この作品は、それこそ、
    波が「寄せては<<<、>>>返す」、あるいは、
    息を「吸っては<<<、>>>吐く」というような、
    「クレッシェンド<<<、>>>ディミヌエンド」だらけの音楽です。
    「波」は「なみ」でも、自然というよりもむしろ
    人の「いと・なみ」なのでしょう。
    (第3楽章だけはその「タガ」が意識的にはずされてる、
    というコントラストが重要です)
    また、チャイコフスキーは「悲愴交響曲」のオーケストレイションに際して、
    ヴァイオリニストで作曲家のユーリー・コーニュスを家に招き、
    弓使いの効果を確かめたうえで、スコアにことごとく
    ボウイングの指示記号(アップ、ダウン)その他を書き込みました。
    この交響曲を演奏するうえで、
    もっとも気を配らなければならないのは、
    抽象的・観念的なことではなく、チャイコフスキーが示した、そうした
    繊細で実質的なメリハリ、抑揚、アーティキュレイション、フレイズィングを
    いかにみごとに再現させるかということにあると、私個人は
    思ってます。どうぞ、チャイコフスキーがスコアに込めた秀逸なDNAの情報を
    ミスなく転写・再生するような、有意義な演奏をなさってください。

  • >passionbbbさん
    はじめまして。コメントありがとうございます。
    シベリウスは1楽章最後には波が引き収まる楽譜となっていることを、番組では盛り込む隙間がありませんでした。
    初稿版から改定されたことで、より浮き彫りになった特徴はそこまで解説しないと明確に意味が伝わらなかったかと思います。
    チャイコフスキーの楽譜の繊細さは、どんな演奏者も心身すべてで受け止め音にしようと努力すると思います。楽譜に並ぶ音の記号の意味はスコアリーディングにおいても、演奏の現場においてもどの次元でも、すべてが必然性を持って語ってくることを皆感じていると思います。それを共通認識で具現化するために、ときおり「ことば」が必要になります。
    私自身も11月のステージを心してそして楽しみに向かうつもりです。
    学生達と頑張りたいと思います。

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