さて、日本とあまり変わらない暑さが続くフィンランドから本日帰国の途につきます。
東京の予想気温より、今日はこちらのほうが暑くなる予報ですが・・・・
結構ラハティは天気が変わりやすく、少し雲行きが怪しくなっています。
昨日ご紹介の道の後半戦を・・・・・
アイノラから次の目的地はこちら。
Huomio!はattention!Note!ですな。
この音楽祭、トゥースラ湖畔室内楽コンサートは主催者が鬼才・異才・ヴァイオリンのPekka Kuusisto。
お兄さんのJaakkoはラハティ響のソロコンサートマスターであり、指揮者です。
Kuusisto一家はフィンランドのバッハともいうべき一家で、作曲家一族です。
この兄弟も演奏と作曲と編曲と指揮と・・・・とにかくマルチの才能をいかんなく発揮しています。
弟Pekkaは本当に素晴らしい演奏家で、私は彼こそPelimanniだと思っています。
どんな作品も自分の言葉で自由自在に奏でてしまう。
いわゆるクラシカルなスタイルからは大いにはみ出しますが、音を開放し、自在に詠わせるスタイルは彼の美音もあわせて多くの人を魅了しています。
この日も、彼の特徴をいかんなく発揮したRautavaaraのPelimanniが素敵でした。
音楽祭のページはこちら。
Rautavaara特集の室内楽コンサート。Pelimanniはピアノソロ版と弦楽合奏版の楽譜があります。
この日は、ピアノソロ版+もとになったpelimanniの節をPekkaが自在に奏でてからピアノに渡すというコラボレーション。理想の形ですね。素敵でした。ポップス系の演奏でも即興が見事なPekka。Pelimanniかくあるべし・・・なるスタイルを見せてくれました。
小さな会場。Aino-Sali Tuusulaのkirokkotie49という住所にある集会場ほどの建物。
ホールにはこの写真にあるように、シベリウスご夫妻の写真が。
ユニークだったのは、男女のWCそれぞれのドアに、ジャンとアイノさんの絵が・・・・・(>_<)
どちらに入ろうか・・。
会場は100名弱入って一杯でした。空調はなく、窓が少し開けられただけ。
客席も暑いけど、演奏者はもっと暑そう・・・・。
3曲目のクインテットのメンバーたちは、楽章ごとに汗をぬぐっていた。
ほとんどサウナ状態。母は絶対にここにはいられなかったと思う。下手をすると倒れていた・・。
クインテットのメンバーもまだ若手ながらクフモ音楽祭をはじめとした室内楽の祭典で活躍している。
やはり耳が良いな・・・と思ったアンサンブル。音色はもちろん音程感覚が全員見事にそろう。
暑さに朦朧と一瞬なりながらも、美しい調べをしっかりと体内に頂きました。
このおよそ1時間余りの時の前後・・・・
それがまあ自分の事前調査の甘さゆえの「夏街道」であったのです。
アイノラを出て、こんな道を歩き始めました。
Tuusula湖も見えてきました。シベリウスもこの辺り歩いたな・・・なんて思いながら・・・・
え!?なんで右側に見えるのだ・・・。
ああ、またやってしまった方向音痴。
こちらがTuusula湖周辺のシベリウスに関する場所、シベリウスと親交の深かった人の場所を載せた地図。
真ん中に湖。右側ヤルヴェンパー、左側トーゥスラの街。Aino-saliの場所は左側をかなり行かないとないよ、と受付の人に言われていたのに、自分が以前地図で見つけたkirokkotieは右側だった!と信じ込んだ。
なんてことはない、ヤルヴェンパーのkirokkotieを見ていたわけだ。教会がある通りkirokkotieは街ごとにある。
間違えなく自分はTuusulaに向かっていた。(方向はそれでよかったが)この看板の時点で、アイノラの家からすでに3キロほど歩いている。気がついた。コンサートチケットにある住所も確認した!
「方向は正解!でも本当にトゥースラの街まで行くにはこの数倍歩かなくてはいけない。無理だ!」
引き返した。
駅に戻って一駅戻ろうかと思った。しかし接続がわからない。本数が1時間に1本だ。
諦めた。ヤルヴェンパー駅まで歩こう!
松の木が現れた。Pini di …..Tuusula? tai Ainola? 思考がやけくそになってきた。
焼ける日差しは続く・・・
歩道・自転車道は道路と並行になって分かれているので歩きやすい。
しかし行き交う人はいずれも「自転車」。徒歩なんていない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Tuusulanjarviの看板。ご説明ありがとうございます。はい、確かにそこにいます。
この看板、大昔冬の時期にここを歩いた時、撮影した記憶がある!!
木陰も時折出会った。8月に演奏するシベリウスの曲を順番に歌いながら・・・歩いた。
暑い光の中で「春の歌」は似合わなかった・・。「愛の歌(歴史的情景第2番)」も、あまり似合わない。
「エン・サガ」・・・・熱かった!
ooooおおおお、街だ!!ヤルヴェンパーが見えてきた!!
2001年の夏に一人でここに来た時、同じようにアイノラから歩いた人、
また同じことをやる・・・。この暑さマックスの日に。経験があったので、歩ける自信はあったのですが
今回は余分に歩いているので少しきつかったかな。
街が見えてきても、左手にはこのような風景。延々続きます。
というわけで、一応無事にヤルヴェンパーの駅前までたどり着きました。
カフェに入って冷たいもの2つ注文!そして駅からTaxiにてびゅーんと上のAino-saliへ。
歩いてきた道をあっという間に通過して、隣町Tuusulaまで。車って速いね~
コンサートの後、ヤルヴェンパーまでバスを出すよ、と案内に書いてあった。
しかし!
ない!係員に伺ったら「すみません、本日は出ません」
「えええええ。タクシーの番号知りませんか?」「0100100で聞いてください」
番号案内にかけて、ヤルヴェンパー駅まで戻ってもらう車を頼んだ。
この時点で自分の頭の中はいまだに間違えた地図のままだったわけだ。
このトゥースラのホールからはKeravaという駅の方が近い。そして便利!
途中でなんとなく疑惑の雲が現れたが、とにかくヤルヴェンパー駅まで戻ってもらった。
時刻表を見た
失敗や!!
ラハティに戻るのには、その時点から1時間以上待たないと接続できる列車がなかった・・・。
待つのは嫌いだ。
とりあえず乗り換え駅のkeravaまで行ってしまおう。
再びkerava駅に佇む。19時過ぎ。時刻表を見ると、やはり接続がなく、20時3分まで待て!と無情にも告げている。美しい列車を眺めながらパンをかじりジュースを飲んでひたすら待つ。暑い・・・・。
来た!しかし・・・・・・・・・
乗り込んだ途端「速い列車が遅れているので、ここで停車して待ちます」
15分までと言ったのに延々待つ・・・結局この駅を出発したのは20時37分!
母の具合も気になるところ、じりじりとしながたラハティに到着したのが21時10分頃。
帰り道はkeravaに出ていたらおそらく20時前には部屋に戻っていた。
ということで、事前調査は綿密に。良い子の皆さんへのメッセージでした。
もっともこういう事態は私にとっては日常茶飯事です。「またか」と思っている人・・・いますね。
時間は有効に。
さてこれから2時間ほどでラハティを離れます。
ヘルシンキ・ヴァンター空港までバスで。そして帰国の途に就きます。
酷暑の日本に戻ります。今年の自分は暑さに強い!実証した昨日でした。
いろいろため込んだ栄養を二つの仕事で爆発させます。
では無事に帰国できますように。
コメント
コメント一覧 (4件)
ユリ先生
………お疲れ様です…。
良い子は、アイノラまでは参考にさせて戴きたく!!
と偉そうな事は言えません!私も、以前間違えた通りに自信満々に間違える習性がありまして。ぎりぎりの基礎体力作りかなといつも思います^o^
なによりお二人の無事の帰国をお祈りします^^v
ユリ先生、暑い夏の忘れられない1日でしたね。
先生、方向音痴っておっしゃるから あの時に
「羽鳥駅までご一緒して良かった~・・」と、思ってしまいました。
暑い中、長い距離を歩いていて、途中倒れたり具合悪くなったりがなくって 本当に良かったですね(^-^)先生は、すごく楽しく経過を書いているので、ニコニコしながら読んでしまいました。読み終わって「いやいや、先生的には 暑いし、焦るし、笑う所じゃありません。」と、我に帰りました。
もう帰路についてますか?
お母様と無事に日本に帰国されますように(^o^)丿 ・☆。・
>智子さま
そうです!これは基礎体力作りだったのです・・うっす。
無事に帰国しました!!次は智子さんの番ですよ~。
>たかひろママさん
はい、あの羽鳥駅までの道・・・
ご案内いただけて「ほんとうに」助かりました!
おっしゃるとおり一人だと危険でした(^^ゞ
ありがとうございました!!!
大地が続く限りやがてはたどりつく・・・・そんな心境でありました。
おかげ様で無事に帰国しました!