エッセイや日記というものを、自分のウェブサイトに残さずにSNSページばかりに挙げている日々だった。
最近SNSに関することで、ある種の「だまされる」ということの被害にあったこともあり、以前から違和感を感じ始めていたSNS上の発言の頻度や内容をかえてゆき、SNSに頼らなかった自分の状態も取り戻そうという気持ちがわいている。
前置きはともかく・・・近年増えつつあった気候変動による災害の増加が今年はますます顕著に。
この状況を見るに、20年程前に書いていたエッセイ、日記の中に現在の状況を警告している報道・ドキュメンタリーに接していた自分を思い出す。今も気象関係者や自然科学の学者さんたちは声高には発言されていないが、「こんなこと今世紀はじめに警告したでしょ!」という気持ちなのではないか。それを思うに、自戒を込めて大変に悔しく思っている日々だ。自分も含めて、当時すでに大人であり社会の中で仕事をし、警告をきちんとキャッチできていた世代の大人たちが、この四半世紀本気で考えてこなかったツケであると、強く思う。人間の営みと温暖化現象の因果関係を明確に発言すると、様々な横やりが入るということが起こっていた四半世紀だったのだと思う。行き過ぎた活動家のあり方には私は反対だ。しかし、科学的な推論と立証とをもって警告されたことが現実になっている今現在、遅すぎるが人類は足下を見直さないといけない状況を天から突きつけられていると強く思う。
併せて、力を持つ人々や国家がますます保身の方向で弱肉強食時代を再構築しようとしている姿にも、かなり嫌悪感を持っている。以前にも記したが、大本である宇宙船地球号が沈んでしまったら、いかなる富も名誉も何も意味を成さない。
ネパールの大規模な洪水被害は強いショックだった。永久凍土の状態は北の地でも折々報告されていたが、今後同様のことがきっと起きてくるのだろう。弱い者が真っ先に被害を受けるという現実に、とうとう法的な発言がなされた。どこがジャッジする、誰が判断する・・・おそらく大国は引き延ばし作戦で因果関係の調査に時間を要すということを盾に、明確な責任を負おうとはしない。大変醜く残念な姿だが、それを個々の判例として今後見守るのではなく、全地球規模で因果関係の科学的な実態調査と今からできる対策が急務であることを共通認識として歩みたい。
昨年くらいから、漠然とだが「豊かさ」の質と意味が変化してゆくような気配を感じていた。それが何に由来するのか自分でも明確にわからなかったが、今この地球規模の変化に対峙して、人類が文明の意味を今一度問い直すときにあるのは実感する。未来に対する夢や希望というものが、自分の中でどんどん収縮している。縮小傾向。危機感と落胆、そして自責も含めて正体不明の怒り。それが募る日々。しかし現在教育現場で多くの生徒、学生たちと個々に向き合っている。彼らの未来を潰してはいけないという気持ちは大きくなるばかり。だから、自分の力をどのように使ってゆくか、磨いてゆくか、意味のあるものに形作る努力をどのようにするか・・・そのようなことばかりを考えている。
現在、掃除機と洗濯機が壊れて使用できない状況。困った状況に一時頭をかかえた。いずれ対策は講じるが、今現在手洗いでも十分に用を為す。手洗いが難しいものはコインランドリーというシステムの力を借りる。手をつかって日常を為すことは、やはり小さいながらも命の存在意義を感じる。仮想世界の中にだけ喜びを見いだす人生には背を向けたい。SNSを利用した巧みなだましのテクニック、情報操作、誤った情報の流布、思い込みの発言、できるだけ目に触れないように心がける日々。目も疲れるし・・・
雑感でした。2026年9月9日記
目次
コメント