<森と湖の詩>

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「淡交会報 第53号 インタビュー」

今年12月に淡交フィルを指揮する今注目の女性指揮者

 新田ユリ(77回) さんインタビュー

●出身中学はどちらですか

 深川三中です。育ったのは札幌で小学校4年の終わりまでいて、まず練馬区に戻りました。その後6年生の2学期に江東区の越中島に越してきました。越中島に公務員住宅が建ったころですね。

 

●音楽とのかかわりはいくつぐらいからですか

 4才からピアノを習っていまして、本当はバイオリンをやりたかったのですが、バイオリンは成長にあわせて楽器を新調しなければならない事情もあってピアノに集中しろということになりました。中学ではアンサンブルをやりたかったのでブラスバンド部で3年間アルトサックスを吹いていました。両国高校は交響楽団があるというので選びました。念願かなってバイオリンを弾けることになりました。

●はじめから音大を受験しようとしていたのですか

 色々興味があったし、語学も好きで歴史なども好きだったので最後の最後まで迷ってはいたのです。最後に先生なりに考えて下さったのでしょうけど、英語の担任だった萩原先生に進路面談で、音楽を目指しているならなんでこの高校に来たのだといわれまして、先生に「すいません」て謝って、やはりこの道を選びますって決めたわけです。

 

夢は母校の音楽教師

●他は受けなかったのですか。

 千葉大の教育学部も受けたのですが残念ながらの結果で・・。今年の春千葉大の管弦楽団を実は指揮しまして、学生を前にして「実は私はここに入れてもらえなかった、だから皆さんは憧れです」とか言ったら受けてましたね。

●最初から指揮者になるつもりでしたか

 大学は教育音楽科で、学校の音楽教師なるのを目指していました。一番の理由は音楽教師になっていつか両国高校にもどって両国のオーケストラを育てたいなと思っていたので。音楽の広沢先生の頃に両国高校に教育実習にも行きました。ですから今の淡交フィルにはその当時の教え子が何人かいるということになりますね。ちなみに淡交フィルを指導されている鈴木さんが実習にいらした時、私達が生徒でした。4年の教員採用試験を受けるギリギリまで音楽の先生になるつもりでしたね。

尾高先生との出会い

●指揮者になる決意は

 国立音大で1年生の時から将来オーケストラを育てるには必要だろうと思って指揮を勉強するサークルに入りました。偶然ですが後で行くことになる桐朋学園の斉藤メソッドをきちんと教えてくれるサークルで、そこで桐朋学園の指揮科のような勉強をずっとしていました。卒業して桐朋のディプロマに行くことになるのですが結果としてその準備をずっとしていたことになりますね。4年生の夏にその時習っていた小松一彦先生に、レッスンのある瞬間ですが「楽しみにしているよ」という発言があって自分でもその気になってもっと勉強を続けたいなと思いました。そこからですね、道が変わったのは。それで教員採用試験の受験票は送り返して道を転換してということです。ただ卒業してすぐディプロマに進んだのではなく、まだ道筋のアイデアがなかったのでいわゆるアマチュア楽団での修行とかオペラのアシスタントなどいろんな仕事の手伝いをさせていただく過程の中で桐朋学園でお世話になる尾高忠明先生と出会うことになるのです。

弓道と弓を掛け持ち

●高校時代の思いでとか

 体格がよかったせいかブージョとよばれてました。3年のときに同級生の作曲を勉強していた女の子と一緒に、ベートーヴェンの皇帝(ピアノ協奏曲第5番の1楽章)をピアノ2台で演奏したことは大きな体験のひとつです。私がソロパートを、彼女はオーケストラパートを弾いていました。大学でも一般大学のオーケストラに参加してバイオリンは弾いていましたが、プレイヤーの立場で指揮者をみるというのも良い勉強になっていたと思います。

 両国高校は当時名物先生が残っていらした時期でしたが・・、現国の草深先生に父が学会か何かでお会いした時に娘が音楽ばかりで勉強しないと相談みたいなことをしたらしいのですが、草深先生は授業の大半が雑談のような授業でその最中につかつかっと来まして「お父さんを泣かせるなよ」とお説教をされました。あと音楽部といっしょに弓道部もやっていたので祥雲先生にもお世話になりました。数学の時間がちょうど午後の時間で夢の中に入ってしまうことも多くて、「これ、新田」と怒られていましたが。今から思うと集中力もつくし弓道部の時に姿勢をきちんとすることと首、肩、背中の筋肉をつけたことが指揮にはよかったと思います。あれは今に繋がっていると思いますね。それと掛け持ちしていたクラブがたまたま弓道とバイオリンで、先輩から弓の掛け持ちをするのかと言われたりしておこられながらやっていましたね。

相性良いシベリウス

●最近は北欧音楽ですが

 北欧にフォーカスしていったのは10年くらい前からなのですが、指揮者の仕事は初めのうちは来た仕事をどんどんやって視野を広げていきます。しかし実際は作曲家との相性というのもあるんですね。そのなかでシベリウスとの相性が抜群に良かったんです。要因としては小さい頃北海道で育って北国の風土が好きだったことが一つ。同じ北国でも小さい頃はロシア一辺倒、チャイコフスキーばっかりで。ロシア語をやっていた父の影響でロシアの人と会う、ロシアの音楽を聞くというのは家庭環境としてありましたね。それでチャイコフスキー、ショスタコービッチにどっぷり浸かっていた時期があって、それからロシア文化の土臭さやある種の貴族的毒々しさから北欧の持つもう少しナチュラルな、自然と共存する生き方を選択してきた国の持つ文化に惹かれるようになりました。音楽の歴史的には例えばフィンランドが中央ヨーロッパの音楽の影響を強く受け始めたのは日本と同じ頃なんですね。同じ頃に西洋音楽を取り入れだしてその後の歩みをみても日本とかなり違ったものになっていてそのへんのことを見ても面白いなあと思ったり、フィンランドの北部のラップランド地方は民族的にも文化的にもアジアとつながりがあって音楽的にもそれは感じられるのでこれもおもしろいかなぁという感じですね。

●アマチュアの楽団のご指導も積極的にされていますが

 この仕事をはじめてから途切れなくアマチュアの仕事もやってきているのですが、アマチュアの良いところは技術的に足りないところをお互いにカバーしながら作れるという面白さですね。それはアマチュアならではのものでそれを積み重ねれば絶対プロをこえる演奏は可能なので、そういう部分をみんなで発見しながらやっていくという醍醐味がありますね。自分もそれをなんとか見つけたいと思ってやってきたのですが、でもそうしながらもそういう姿勢をとるということはどこか自分の中で譲る部分もあるわけで、だからそのバランスが難しいなとは思います。学生のオケはともかく社会人のオケは厳しく指導し過ぎるとかえって皆さんの意欲を奪うことにもなるのでその辺りも配慮しますね。ただ今後はそちらの仕事は減らしていく方向になると思います。

●最後に指揮者を目指す後輩に一言

 指揮者の仕事は華やかに見えますが、本当は実に地味で縁の下の力持ち的な要素が多いです。そのことを理解して覚悟できなければいけないということはありますね。

(2004年10月25日 上野池之端 東天紅にて)

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