国立音大ブラスオルケスター第44回定期演奏会
プログラムノート
<フィンランドの吹奏楽事情>
昨年よりヨーロッパの吹奏楽オリジナル作品を取上げるシリーズを始めた。昨年の E.Rautavaara は現代フィンランドを代表する作曲家であるが、今年もフィンランドから
3 人の作曲家をご紹介したい。
フィンランドという国は、 1917 年にロシアから独立するまで 1809 年から帝政ロシアの支配下におかれた。それ以前はスウェーデンに属していた。音楽活動は
1700 年代の終わりから 1790 年にトゥルク(旧首都)に音楽協会が設立されたことをきっかけとして活発になった。
30 名ほどのオーケストラを編成し、ウィーン古典派の作品もそこで演奏されていた。
吹奏楽の歴史は 17 世紀から始まる。スウェーデン統治下、スウェーデン王国の宮廷軍楽隊の形態を真似したものがフィンランド国内に生まれた。その編成は当初、主にクラリネット、そしてファゴット、ホルンというもので、彼等のレパートリーはヨーロッパのオペラのアリアや管弦楽作品をアレンジしたものや、行進曲、舞踊音楽の伴奏などであった。
1809 年以降、ロシアの属国となってからは上記の編成が金管楽器のアンサンブルに次第に取って代わられてきた。
ヘルシンキに駐屯していた国防軍軍楽隊の指揮者 Adolf Leander ( 1833 − 1899 )によって当時の吹奏楽の基礎が築かれた。彼はコルネット族の使用を推進した。そして吹奏楽のレパートリーとなる作品の収集や出版も始めた。更に金管
7 重奏というスタイルを生み出し 一般の音楽愛好家や趣味で演奏する人々が彼等の職場、工場、農場などで労働意欲を推進するために演奏するという啓蒙活動を広めていった。彼はフィンランドの吹奏楽の父と呼ばれている。
この金管 7 重奏という編成は行事に際しての音楽や、スラブ諸国のワルツ音楽、又スウェーデンやドイツにあった吹奏楽作品の演奏をレパートリーとしていたが、
1920 年代からジャズやタンゴの影響を強く受けるようになり、それらの作品が多く生み出された。
現在、フィンランドにはプロフェッショナルな吹奏楽の楽団はない。しかし各地の軍楽隊はそれぞれ吹奏楽団を持ち、年に 1
回その隊長、指揮者が集まり講習会、作品の紹介などの催しが行われている。各都市には公的な音楽学校のもと吹奏楽の授業があり、又市が運営する青少年のための吹奏楽団も数は少ないながら存在する。最近フィンランド唯一の音楽大学シベリウスアカデミーにも吹奏楽指揮者のコースが設けられた。
< Jean Sibelius ( 1865 〜 1957 ) Tiera >
フィンランドの国民的作曲家シベリウスが管楽器の分野に作品を残している、ということはまだあまり知られていない。一般的な吹奏楽編成(木管・金管・打楽器)のものは存在しないが現在確認できる管楽器打楽器のみを使用した作品は
4 曲である。今回取上げたこの作品は金管楽器 7 重奏と打楽器による作品である。 1894 年に作られている。タイトルの「
Tiera −ティエラ」はフィンランドの国民的文学カレワラ叙事詩に登場する勇者レンミンカイネンの戦友の名前である。ゆったりとしたファンファーレから始まる作品はシベリウス特有の和声を含みながら後半軽快な行進曲へと進んで行く。この作品は
1900 年のパリ国際万国博覧会において、ヘルシンキフィルを Robert Kajanus を団長、指揮者に Jean
Sibelius を副団長、副指揮者として送り出す前に激励会で演奏されている。
< Kalevi Aho ( 1949 〜) Tristia >
現代のフィンランドの作曲界にあって 精力的に活躍する中堅世代に位置する Kalevi Aho 。彼は現在ラハティ交響楽団のレジデンスコンポーザーの地位も得ている。指揮者
Osmo Vanska 氏とのコンビで BIS レーベルから氏の作品の録音も順にリリースされている。カレヴィ アホには
12 曲の交響曲(第 12 番は 2002 − 2003 作成)、4つの協奏曲、4つのオペラ作品、数多くの室内楽作品等がある。交響曲のいくつかはソロ楽器を持つ協奏曲様式になっているのが特徴である。(第
3 番ヴァイオリン、第 8 番オルガン、第 9 番トロンボーン、第 11 番打楽器)そして室内交響曲第 3 番はアルトサクソフォーンをソロに持つ。
1970 年代から作曲界に登場し瞬く間に同世代のリーダーとしての地位を確立した。 Kalevi Aho は Gustav
Mahler と近い特質をもっているとみなされている。又その作曲スタイルは変化が見られ、登場時の新古典主義作風からモダニストとして第6交響曲を発表し、その後
1980 年代からは多元主義の傾向が強く見られる。 Kalevi Aho 自身は「音楽とは聴衆をはっとさせ、新しい方法で人生と世界を認識させるようでなくてはならない」と強調している。国際的な受賞歴も多く、
1974 年デンマークのレオニ− ソンニング賞、 1982 年ハンブルクの連邦政府芸術家奨励金、 1990 年ドイツでヘンリク ステファンス賞、そして
1996 年にポーランドよりこれまでの全作品に対する Fliska 賞が贈られている。
「 Tristia −トリスティア」はラテン語の tristis (哀しい、陰気な、苛酷な)を基とするが、このタイトルはロシアの詩人
O. Mandelstamin の同名の詩集( 1916 − 1920 編)から取っている。 O.Mandelstamin
はローマの詩人 Oudius の詩篇「悲しみの歌」からモチーフを得ている。全般をとおして陰鬱な気分が支配しているが Kalevi
Aho の作品に特徴的なクラリネットのソロの多用がここでも見られる。 1999 年春に作曲されその年の 11 月 21
日に初演。アンナホールシンフォニックバンドの委嘱で Klaus Pirkkainen の指揮で行われた。
< Jukka Linkola ( 1955 〜) Sisu >
現在 48 歳のこの作曲家はあらゆるジャンルに通じた驚異的作曲家としてフィンランドで知られ、多くの作品を生み出している。シベリウスアカデミーでピアノを専攻した
Jukka Linkola は在学中にまずジャズに接した。ここで彼は多くのジャズの作品を生み出すと同時に、 1976
年設立の彼のオクテットはフィンランドジャズ界の中心となっている。 1975 年フィンランド国営放送、ウーシマー州芸術活動委員会、ヘルシンキ市が支援する
UMO (新しい音楽のオーケストラ)という名のジャズビッグバンドが設立されたがここに Jukka Linkola も参加して指揮もしている。そして
Jukka Linkola はジャズバンドの指揮者としても EBU (ヨーロッパ放送協会)デンマーク放送ビッグバンドなど国外でもタクトを持つようになっていた。
同じ時期、彼はヘルシンキ市劇場でリハーサルピアニストとしての活動も行っていた。そこで彼は指揮の仕事の仕方を学ぶとともに、劇場音楽の作曲も始め多くの委嘱を受けるようになった。その後フィンランド放送交響楽団、ヘルシンキフィルハーモニー、フィンランド国立オペラ劇場、アヴァンティなどの楽団で指揮活動も行っている。
彼の作品には上記のジャズの経験が多く生かされており、 1983 年のテナーサキソフォーンとオーケストラのための Crossing
は個性的にジャズとクラシックが結び付けられている。代表作としては 1988 年と 1993 年に作曲された 2 つのトランペット協奏曲、
1992 年のテューバ協奏曲、 1997 年ウェディングミュージックがあるが、なんと言っても 1993 年パリのオペラスクリーンコンクールで
1 等賞を獲得し、 1994 年カンヌでも Midem 賞を受賞した 1992 年作の TV オペラ Angelica
が有名である。
「 Sisu −シス」は 1999 年 4 月 29 日ミネソタで初演されているが、これは 1995 年にコンコルディア大学バンドの委嘱によるものだった。
SISU という言葉は、フィンランド語で忍耐や我慢強さを意味しているが、一般的にフィンランド魂という意味で使われることが多い。これはその国民性をあらわしており、頑強で意志が強い様子、不屈の精神などの意味を含んでいる。彼のオペラ
1991 年作の「 Elina −エリナ」に使われたテーマがクラリネットとファゴットのソロで演奏され、シスは始まる。途中
Fieramente (大騒ぎ、獰猛な)と指示のある部分と軽快なスケルツォ部分が交錯して進んで行く。最後のコラールはあたかもフィンランドの先祖を追憶するように消えてゆく。
参考文献・資料
FMIC フィンランド音楽情報センター
フィンランドの音楽(オタヴァ出版)
(2003.7.13 掲載)
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