アンサンブル・フラン創立40周年によせて

 アンサンブル・フラン創立40周年によせて

                                新田ユリ 指揮者

 

 19925月初旬、朝の合宿所の玄関でとてもかわいらしい野鳥に出会った。今思い返すとそれはエナガのヒナだったかもしれない。人を恐れず玄関口で飛び跳ねていた。手を差し出すと乗ってきた。その前夜から喧々諤々のリハーサルを積んでいたアンサンブル・フラン第15回定期演奏会にむけての合宿。噂にきいた「自由な会話、やりとり」は現実には想像を超え、指揮者としてデビューしたばかりの自分にとって、シェーンベルク「浄夜」を初対面でこの元気の良い人生の先輩方とどのように作り上げてゆくのか、内心は途方に暮れていた当時の自分を懐かしく思い出している。かわいらしい小鳥の出現は、自分へのちょっとしたエールに思えた。その合宿では当時NHK交響楽団のコンサートマスターであった山口裕之、ヴィオラ首席の川崎和憲両先生のご指導もあり大変に刺激的で学びの多い時間だった。以来共演回数は本日で19回目。定期演奏会で8回、ニューイヤー&ウィンターコンサートで11回。初共演から今年は25年目、四半世紀の共演の歴史の節目ともなる。

あらためて共演プログラムを見ると詳細を調べるまでもなく、圧倒的に「北欧&英国」プログラムが並ぶ。ほかにも邦人作品、新作初演、新たな編曲など特徴あるプログラムに取り組む機会を頂いてきた。メンバーの皆さんの音楽的なモチベーションが高いこと、リハーサルを積み仕上げてゆくという時間に、大きな愛情を注いでいらっしゃることなど、指揮者にとっては大変に有難く贅沢な環境が整っているアンサンブル・フランとの四半世紀の時間。現在の自分の北欧路線の初期の道を作っていただいたのは、間違えなくフランの皆さんとの公演だった。英国&北欧は作品においても共通する響きや哲学を感じるところも多く、英国の楽団による北欧作品の演奏や録音が、多くの人にその作品を知らしめる機会ともなっている。本日のプログラムはその25年の歴史への感謝もこめて選曲している。

初挑戦の作品として、北欧側にウーノ・クラミのピアノ協奏曲を選んだ。ソリストの秋場敬浩さんとは昨年の3月にハチャトゥリアンの協奏曲で初共演。その圧倒的な音楽性とピアニズムに間近で接して、ぜひほかの作品での共演、そしてより多くの皆さんに演奏を聴いていただきたいという想いで今回お願いした。アルメニア・ロシア音楽に深く取り組みレパートリーとされているが、実は北欧、バルト三国の作品にも造詣が深い。クラミというフィンランドの中でも独特なカラーを持つ作曲家へのアプローチも大変に楽しみにしている。クラミについては今回小川至さんより素晴らしい解説を頂戴した。あらためて感謝申し上げたい。フィンランドにおけるシベリウスの存在はあまりに巨大であり、その大木の影という形で同時代の作曲家が紹介されることも多い。しかし大木とは違う土壌で、あるいは違う光を浴びながら育った作曲家も存在する。その一人として今回クラミを取り上げた。実は私自身フィンランド研修時代にはじめてラハティ響を指揮した折のプログラムは、このクラミの「スオメンリンナ序曲」とシベリウスの「カレリア組曲」だった。初対面の作曲家、作品ながら魅惑的な和声、リズム、オーケストレーションに心をつかまれた。

後半の英国プログラムはいずれも再演プログラム。アンサンブル・フランの皆さんはほかのマエストロとも何度となく手掛けている作品。私は1998年の第21回定期演奏会において、2曲とも共演した。その時の合宿も記憶に残るものだった。なんとリハーサル会場で鳥が舞っていた。鳥たちの声を聴きながら音を作り上げたことはおそらく後にも先にもないことと思う。それは自分にとってはある部分心地よく、音楽が持つ世界の広さをより体感したひと時だった。音楽はヒトのものかもしれないが、音は世界、地球、宇宙すべてのものであり、音楽の細胞は無限の世界に存在していて作曲家はそれを編み上げ再構築する・・・私自身は作曲の才能はゼロ、あるいはマイナスのレベルだが、作曲するということに対してはそのような想いを持っている。その意味で様々な音環境からの影響は、スコアから現実の音楽を作り上げる時に時には魔法のような役割も果たしてくれる。この時のリハーサルも変わらず“喧々諤々”だったが、自分が発言したことで一つ明確に覚えていることがある。「豆腐をクレーンでつかむような音は出さない!」なぜそんな表現をしたか潜在意識は忘れてしまったが、作品によって、同じ音符の記号であっても求められる音の質は多いに異なる。必要な力、必要なタッチ、適切な息の運び、音の重さがそれぞれにある。鉄のレールはクレーンで挟むが、豆腐はNOである。あまり深みのない表現ではあったが、メンバーの方にもなんとか意味は伝わったようで・・・記憶に残るものとなった。

リハーサルが一方通行ではないこと、それは自分にとってはとてもかけがえのない時間だった。試行錯誤の時間でもあり、その結果を現場で見つけられる時間でもあった。アマチュアの域を超えたと感じる演奏にも音にも度々出会っている。それは一朝一夕でできることではなく、個々の切磋琢磨とアンサンブルとしての積み重ねの時間の結果である。とことん愛好家であり、とことん時間をかけて追及する、そして相互の自由な問いかけ・・・そのスタイルのアンサンブル・フランが40年を迎えた。そのうちの25年間をご一緒して、悲しい別れも経験している。永遠ではない命の現実に遭遇する。一方メンバーのお子さんも成人を迎え独立し・・という世代に入っている。メンバー自身も人生一回りを過ぎる人が続々と。この命の連続という摂理の中で、音楽というものを媒体として素晴らしいメンバーの皆さんと過ごした25年間、途方もない大きな世界と永遠の時間を体感させていただいた。あらためて深く感謝。

そして、この先のアンサンブル・フランの目指す方向にも深い関心をもって見つめたい。「このメンバーが60歳を迎える時、どうなっているのか楽しみだ」と合宿で発言していた事務局Tさん、あの発言からあっという間に20年が過ぎた・・・。楽しみな時代が現実となった。

新たなアンサンブル・フランの道への一歩となりますように。本日は四半世紀の重みを感じ、タクトを持ちます。40周年おめでとうございます。 (了)

 

<無断転記ご遠慮ください>
[2017年8月16日 16:39]

森と湖の詩日記
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