愛知室内オーケストラ第17回定期演奏会 曲目解説

 愛知室内オーケストラ 第17回定期演奏会 曲目解説        新田ユリ

 

スカンジナビアと呼ばれる3つの国(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン)とフィンランドの作品が並ぶ今回の定期演奏会。まだ名も知られず聞かれることのない魅力的な作曲家と作品の宝庫でもあるこの北欧の国々。北欧文化はデザインを初めとして福祉国家であること、児童文学はじめ魅力的なキャラクターが闊歩する物語の生まれた国として近年人気が高い。秘曲もぜひお聴きいただきたい!ということで第17回定期演奏会にはこの作品たちが並ぶ。

 

Jean Sibelius(1865-1957)                  ジャン・シベリウス

                          ヤルネフェルトの戯曲「クオレマ(死)」より

 Valse triste  / Scene with Cranes from Kuolema     悲しきワルツ・鶴のいる風景

 

シベリウスには突出して演奏回数の多い作品が数曲ある。そのひとつが「悲しきワルツ」ただし、通常演奏会で演奏されるものは、原曲の劇付随音楽から作曲者が改訂して独立した1曲としたものだ。フィンランドの風景を思わせる薄暗さ、控えめな悲しみの言葉と激情的な爆発の対比は根強い人気を維持している。“Kuolema(死)”という台本はアルヴィド・ヤルネフェルトによりつくられた。アイノ夫人の兄である。パーヴァリ少年の成長物語ともなっているこの台本は3幕構成。「悲しきワルツ」にあたる曲は冒頭のシーンに登場する。パーヴァリの母が病床にある。眠りの中で母は若い女性たちと踊りに興じていた。その様子を目覚めて傍にいる息子に語る言葉が切ない。

「鶴のいる風景」は文字通り鶴の声を模した音が出てくる。シベリウスと鳥の縁は深く、鶴と白鳥は度々登場する。この作品の中で鶴は第2幕に登場する。鶴が主人公パーヴァリ夫妻の頭上を旋回し嬰児を運んでくる。どの幕もタイトルの「死」を背景に持ち、その響きはほの暗い。

 

 

 

Johan Svendsen(1840-1911)              ヨハン・スヴェンセン

Romans  op.26                                              ロマンス

 

1843年生まれのグリーグの先輩にあたる同じノルウェー出身スヴェンセンの名前は、まだ日本では本日のロマンスを初めとして弦楽アンサンブルの小品などが知られるだけのようだ。9歳よりヴァイオリンを学び、その後軍楽隊において様々な器楽の経験を積んだ。海外の留学を希望するも家庭が貧しく、奨学金を得てなんとか1863年にライプツィヒ音楽院に入学。その後最優秀の成績で卒業した。スヴェンセンは1870年にヴァイオリン協奏曲(作品6)を作曲したのち、さらにヴァイオリンの作品を待ち望まれていた。1881年の秋、インスピレーションを得てこのロマンスはわずか二日間の時間で書き上げられた。スヴェンセンの友人でもあった出版社のカール・ワルムートはすぐに出版にとりかかった。一説によるとワルムートが自分の趣味として演奏するために小品を依頼したとも言われている。また幸運にもこの秋にポーランドの著名なヴィルティオーゾ、スタニスラス・バルチェヴィツ(1858-1929)がオスロを来訪。スヴェンセンは彼に作品を見せるとヴィルティオーゾによるロマンスの初演がこの年の1031日に実現した。大成功の初演をうけ、ソリスト自ら1882年にはドレスデンにこの作品を持ち込み、その後ライプツィヒゲヴァントハウスオーケストラのコンサートマスターのソロでも演奏された。ロマンスは初版のワルムート出版社のほかにスヴェンセンの死後、68もの出版社により世の中に広まっている。

 

 

Dag Wiren(1905-1986)                   ダグ・ヴィレーン

Serenade for strings op.11                 弦楽のためのセレナーデ

 

本日登場の作曲家の中で唯一20世紀生まれのヴィレーン。ヴィレーンの生まれはヴェストマンランドというスウェーデンの中央に位置する古い州。自然豊かな環境で育ったが14歳の頃ストックホルムに移り住んだ。1926-1931の期間ストックホルム音楽院にて作曲を学びその後パリで勉強を続けた。1937年ヴィレーン32歳の頃に作曲されたこのセレナーデはヴィレーンの名を世界的に広めた作品でもある。この頃のヴィレーンは新古典の様式の中に、温かみのある和声進行を加味している。作曲者の信条として残されている言葉がある。「私は、神、モーツァルト、ニルセンを信じる」。学びの時代からはじめの10年の期間にあたるこのセレナーデは、モーツァルトを思わせる要素が並ぶ。自然豊かな美しい道をご機嫌な車で駆け抜けるような疾走感を持つ第1楽章に続く第2楽章は、一休みの空間で一人想いにふける姿が浮かぶ。ピッツィカートの伴奏に支えられたモダンな響きが特徴的。第三楽章のスケルツォはエンターテイナーを作曲の姿勢として持つヴィレーンの持ち味が強く出る。そして第4楽章、一見楽しいマーチと聞こえるが、書かれた時代を思うとこの足音は迫りくる時代の危機とも聞こえる。その足音とお洒落で軽妙な旋律が時代の緊張感を伝えてくれる。

 

Carl Nielsen(1865-1931)                   カール・ニルセン

Serenata in vano                                            甲斐なきセレナード

 

イタリア語で「むなしく」という意味を持つ in vano。作品のタイトルにこの言葉を持ってくるほどに、

当時のニルセンの状況は少々難しくなり始めていた。交響曲第4番「消しがたきものー不滅」はこのセレナードがかかれた1914年から1916年にかけて作曲されている。その背景にニルセン夫妻の問題が潜んでいることは知られている。また王立劇場との指揮者としての契約状況にも不服の時期だった。この王立劇場のメンバーと、演奏ツアーが企画されそこにむけて作曲されたのがこのセレナーデ。記録によると、191463日にツアーは始まっている。各地でこのセレナーデは演奏された。プログラムにはモーツァルトのディヴェルティメント、そしてベートーヴェンの7重奏曲が並び、この2曲の間にセレナーデが演奏された。独特な面白みがあるという高評価もあったが概ね、大家の立派な作品に見劣りするという論調の批評が続いた。結局コペンハーゲンで披露されたのは1915413日。編成はクラリネット、ファゴット、ホルン、チェロ、コントラバス。退廃的なワルツを思わせる冒頭からニルセン独特の和声とリズムが並ぶ。美しい女性に誘いをかけるも姿を見せない。音楽を変えさらに想いを伝えるも効果がない。結局最後には諦めてみな自分の楽しみのために演奏して終わる軽いジョークだーとニルセンは言葉を残している。

 

Niels Gade(1817-1890)            ニルス・ゲーゼ

Noveletten op.43                ノヴェレッテ

 

来年2017年はニルス・ゲーゼが生誕200年を迎える。本国デンマークでも様々にコンサートが準備されている。愛知室内オーケストラは2012年以来、交響曲第4番、第3番を手掛け、来年も第1番と序曲を予定している。ゲーゼの存在は19世紀において非常に大きなものだった。グリーグ、ニルセンはもとより北欧の作曲家は何らかの形で影響を受けている。ニルセンは特にデンマークにおける学びの場においても、また後年海外へ学びと活動を広げる折にゲーゼの名前を携えていった。メンデルスゾーンに見いだされライプツィヒにおいて後継者としても同僚としても大きな働きを遺したゲーゼが1848年その地を去ったのは戦争が原因だった。

Noveletteとは文字通り中編小説。ゲーゼはこの作品53と作品58で同名の2曲を遺している。作品番号は近いながら両者の作曲年は10年ほど離れている。1875410日ゲーゼ自身の指揮により音楽協会コンサートにおいて初演された。聴衆の評判もよく1890年までの間に33回再演の記録があるようだ。この曲はほとんど4楽章の交響曲と同様の構成を持つ。(F-Dur d-moll A-Dur F-Dur)。作品の様式、ジャンルについて当時から様々評されてきたがゲーゼ自身ははじめからNovelettenという名称を使っていた。ゲーゼの交響曲に見られるように、第1楽章は短い序奏を持って始まる。主部の優しいロマンティックな旋律のラインは師のメンデルスゾーンの影響に加えて交流のあったシューマンの影響もみられる。初演当時から大変に人気の高かった第2楽章スケルツォは、パートを移り行く主旋律の特徴的な付点リズムが優美な勇ましさを見せている。第3楽章は北欧の抒情の源泉とも言えるゲーゼならではの甘美な歌に溢れる。第4楽章の疾走感は、やはり師匠のメンデルスゾーンを背景に感じる。

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[2017年8月16日 16:37]

森と湖の詩日記
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