プロースト交響楽団第24回定期演奏会終演

 初顔あわせのプロースト響、これまでご一緒してきた社会人オーケストラの中でも平均年齢は若いほう。
アマチュア楽団との共演が多い方の自分にとっても、はじめてお会いする人が多かった楽団。別の楽団で共演経験のあった人は数名程度。つまりやはり、日本のアマチュア奏者人口はとてつもなく多いということも実感した今回。

シベリウス&ショスタコーヴィチのプログラム。プロースト響としても初めての作曲家の取り組みだったそうだ。
非常に潜在力が高いという初回リハーサルの実感は、本番で「やはり」とあらためて確信。

昨日は1815名のお客様をお迎えしてのミューザ川崎での公演となった。多くのご来場のお客様に感謝申し上げます。そして集客への組織力を持っている、その努力をしている姿を当日のレセプションで見ることができて、アマチュア楽団の活動の一つの独特の「力」も見た想い。

「フィンランディア」で始まった公演は、1曲目から多くのブラヴォーコールをいただき、弾みがついた。メンバーも嬉しかったと思う。現在アイノラ響でフィンランディアのオリジナルの形に取り組んでいるが、当初のテンポ設計と現在のフィンランディアの姿は異なる。その変化の経緯を考えるに、逆になぜ当初は違ったのかもあらためて試行錯誤する中での、現行版フィンランディアの演奏。自分の中でも一つさらに整理された部分があったと感じている。

そしてメンバーも様々なフィンランド話を聞いてくれた上で、また個々のリサーチの中で作品の核となる部分への共感を増やしていってくれていた。メンバーの音楽魂に感謝の1曲目。

次の「トゥオネラの白鳥」「レンミンカイネンの帰郷」は、いずれもやはりアイノラ響で今度取り組む「レンミンカイネン組曲」の中の2曲。そして作品が生まれた当初から人気の高い2曲。

トゥオネラの白鳥は、もちろんコールアングレの大きなソロが核となる。これを演奏したのはプロースト響の代表である吉村君。はじめから形ができていたし、非常に音楽的でソロの呼吸が作れる奏者。本番もお見事だった。リハーサルごとにいろいろな流れを試みていったが、弦楽器セクションとのやりとりにおいてもアンサンブルセンスを発揮していた。そしてチェロとヴィオラ、またコンマスにある短いが重要なパッセージのソロも美しく連携も見事。背景を作る弦楽器セクションの静寂と波動の響きも本番最終的に良いバランスになった。皆さんお見事!

レンミンカイネンの帰郷は、聴くと演奏するとでは大違い。特にヴィオラセクションは孤軍奮闘、いや悪戦苦闘に近い楽譜が書かれている。それを克服して当日は全員で無事にレンミンカイネンが故郷に戻った演奏になったと思う。単発的な鋭い音型や、特別なフレーズ感などもそれが自然に流れないとこの曲の勢いは出せない。本番の空気も後押ししてくれたか。金管セクションも高らかにLempiの男レンミンカイネンを描いていた。
 

後半のショスタコーヴィチSym.5は、7月の終わりに名古屋シンフォニアの皆さんと共演している。あの時もそうだったが、3楽章にポイントを置いて全体を考えていた自分。そのことに両方の公演とも、終演後お客様からも大変に有難い光栄なお言葉をたくさんいただいた。
今回も、3楽章について感想をいただくことが多かった。もちろんほかの楽章との連携があってこそ、
冒頭から低弦の多い編成のプロースト響の持ち味が発揮できたと思う。コントラバス10名!!羨ましい環境。
ちなみに、プロースト響はヴァイオリン対抗配置をとっている。これはオーケストラのポリシーとして創立以来1度をのぞいてそのようにしているとのこと。はじめは私自身思案躊躇している想いがあったが、そのスタイルになれているオーケストラであれば、その持ち味を生かしたアンサンブルが作れるだろうと信じて取り組んだ。
ファーストもセカンドも、正直音量も技量もほとんど差がないプロースト響。だからこそ、両方のトップのもとしっかりと音を作り対抗配置の意味と効果が出せるのだと感じた。

別のところでも書いたが、ショスタコーヴィチの第5番は、自分が幼いころベートーヴェン、モーツァルトよりも先に耳にしている曲。環境的にロシアの(ソ連)の音楽が傍にあった。この第5番の2楽章の持つ独特の怖さに、幼いころおびえて、この楽章だけは逃げていた。変な子供だった。指揮者としてこの作品に向き合った回数は、まだそれほど多くはない。でも30代、40代・・と世代の節目で機会を得るごとにどんどん作品との距離が変わっていくのを感じている。現時点ではとても近いと感じる作品かもしれない。

プロースト響には各セクションソリスティックな力を持つ名手がいる。ショスタコーヴィチにおいてのホルン、冒頭だけ少し事故もあったがすぐに持ち直して安定感のある響きを奏で挙げた。そして木管。いずれも長いソロを持つ作品だが各人、ショスタコーヴィチの節の特徴と和声感をもって見事に奏でていた。セクションとしてもファゴットを核として深く凄みのある響きから、極限の悲しみの響きまで作り上げていた。お見事!

作品のテンポ構成を今回できるだけ忠実に、と取り組んでいたので、実は金管セクションには大変負担をかけている。とは言っても作曲者がそれを望んでいるのだからということで、本番の流れになった。
理解をして試行錯誤、取り組んでくれたコンサートマスターの細渕君はじめ皆さんには感謝。

前日のリハーサルでは打楽器のトレーナーである日フィルの三橋さんが立ち会ってくださり、とてもとても適切なアドバイスをメンバーに下さり激変!深謝です。

アンコールは「タヒチ・トロット」、ショスタコーヴィチ。ソリスティックな力も、本番発揮されましたね。
練習ではなかなか生まれなかった遊び心も本番ステージでは発揮されていたかな。解放感のなせる業でしょうか。

お力をお貸しくださったエキストラの皆様にも大感謝です。

この期間、「暴虐の人スターリン」B.ハットン著 北見一郎訳 新潮社が某ネット販売でたくさん注文があったこと・・・不思議に思っているかな・・・父の書斎に眠っていた古いこの本のことをメンバーに話したら、早速多くの人が自分で入手して(1円!)皆さん読んでいました。
フィンランドのことやカレワラのことなども、興味をもって調べている人も複数いましたね。お話できました。
とにかく、非常にある部分生真面目で、きちんとしていて・・・素晴らしい組織力で集客も全員で頑張っている、若い力の姿をしっかりと見た想いでした。そして今回の作品に必要な、ブチ切れた部分というものも最後に表現できたことにも嬉しく思っています。

本当にありがとうございました!

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[2016年11月13日 11:43]

コメント(2)

 初めて訪れたミューザ川崎、初めて聴くプロースト交響楽団。どんな響きが、どんな演奏が聴けるだろうかと期待感に溢れたコンサートでしたが、終演後の充実感たるや期待を遥かに上まわるものでした。
 特にショスタコーヴィチの5番は、2011年の日立フィルとのステージで拝聴した「抒情的な静寂さ」がさらに徹底され、細部にまで緻密に織りなされて空間を埋め尽くす密度の高い響きの立体感には驚くばかりでした。
 世間では、シュプレッヒコールのように声高で汗臭い「革命」を押しつけてくる指揮者が多い中で、新田先生の示された「抒情的な」5番は、まことにユニークで説得力があり、余人のなし得ない解釈だと思いました。
 最近読んだスターリン時代に関する本の印象が残っているせいか、あの頃のロシア人世界の息苦しい体制の雰囲気、戯画化されてはいるものの独裁者の恐ろしげなさま、行き場の無い民衆の閉塞感、虚しく徒労に終わる抵抗の足掻きなどが、響きの中に生々しく、しかし、万感をこめて「ひっそりと」埋め込まれているように思われました。
 もうすっかり通俗名曲化した5番が、こんなに思索的な作品であったとは新鮮な驚きです。プロかと聴き違えるプロースト響のサウンドも相まって、2011年の感動を上回る印象深い体験をさせていただきました。
素晴らしい演奏を有難うございました。

junsin様

コメントありがとうございました。お返事大変に遅くなってしまいました。申し訳ありません。とても丁寧にお聞きいただけましたことうれしいです。そしてオーケストラの力をきちんとお聞きいただけ、彼らの音が届いたこと、大変に嬉しいです。受け取っていただいた作品の想いは、今回おそらくオーケストラ全体で共有していたものだと思います。これまで手掛けてきたこの作品の演奏の機会よりも、今回一層強くそれを意識しました。意図的ではなく時代の空気からでしょうか・・・。
人間の業、怖ろしさ、そのようなものが日常できるだけ出会わないことを願いますが、そのようなものへの心の準備も必要な時代になっていること、作品を通して感じる機会でもありました。いつも本当にありがとうございます。

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森と湖の詩日記
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