「人気者考察」 新田ユリ
Paparazzi( パパラッチ)なる言葉が世間に知られるようになって久しいが、もとはイタリア映画『甘い生
活』に登場する、Paparazzo(パパラッツォ)という報道カメラマンの名前。スターやアイドルなど、人気者
にこのパパラッチはつきものだが、世の中は人気者とそうでない者とに分かれているのも事実である。
このPaparazzi に追いかけられていたわけではないものの、本日お届けする「交響曲第2番」はまぎれもな
くシベリウス作品の中の大スターである。フィンランドのオーケストラが来日公演を行なう時には、このス
ターの登場がないとお客様は来ない!と言い切る興行主の皆さま。そんなスターを、アイノラ響は第8回目
にしてようやくお迎えする。奇しくもPaparazzi の故郷、イタリアにとても縁のある交響曲である。
そもそもスターとはなんぞや。「特に人気のあるもの」と広辞苑にはある。人気とは、「世間一般の気うけ、
評判」とある。気とは、「宇宙を構成するもの、生命の原動力、心の動き」。多様に使われる言葉であり概念だ。
いわば万物の源となるものが、そのスターなるものにひきつけられ集まってゆく状態。人気があるというの
は、とても大きなものを動かす力があるということだ。
<宇宙を構成するもの>
シベリウスの作品に、宇宙、自然界そのものが見事に写し取られていることは、度々コラムでも執筆して
きた。シベリウスがこの作品に取り掛かるころに家族旅行を兼ねて訪れたのは、イタリアのラパッロという
街。ところがこの海辺の環境は、湖の傍らで育ったシベリウスにとって少々うるさく感じたことが、近所の
村に仕事部屋を借りた理由。シベリウスの「耳」はもうひとつの目であるかのごとく、人の営みを取り巻く大
気の状況をつぶさに音に変換している。この交響曲のニ長調という調性に黄色を見ていた共感覚の現象は、
作曲家シベリウスの大きな財産といえる。
<生命の原動力>
91歳の長命であったシベリウスは、健康であったか? 1908年ごろにみまわれた喉の腫瘍切除は、その
後の作品に落とされた影でもわかるとおり、相当にシベリウスに打撃を与えたようだが、少なくとも第2番
作曲以前のシベリウスには大きな病歴は見られない。むしろ活発に活動し、若さゆえの放蕩も第2番作曲以
前には繰り返していた。しかし都会の生活は心身を痛める。音楽家にとって命である「耳」の不調も感じてい
たそのころ、ありがたい救いの手が差し伸べられた。カルペラン男爵の助言と援助である。後述するが、こ
の作品の作曲以前に、シベリウスの周りには悲しい別れが続いていた。シベリウスの作曲上、また家族関係
に光を取り戻すため、重要な旅のはずであったが・・・。
<心の動き>
シベリウスを愛する人が、またフィンランド人が度々口にする言葉「シベリウスは3番以後が神髄だ」。
私自身もそう思っている。しかし人気調査の結果は歴然としていて、ほかの6つ交響曲は第2番に勝てない。
理由のひとつに推察されることは、あとの6曲にはあまり見られない、人間らしい「心模様」。
第2番の背景には、団員執筆の解説にもあるように、当時のフィンランドの政治的な立場が重ねられること
が多い。作曲者本人はその解釈を拒絶し、後年この作品が自分の心の吐露であることを親しい者に明かして
いる。しかし、当時体制が大きく変化したロシア側のフィンランドへの圧力に抵抗し、嘆願書などにもサイ
ンをしているシベリウスである。その時代の空気から隔絶超越していたわけではない。
シベリウスは2歳にして父を失ったが、1897年、32歳で母を看取っている。そしてこの旅の10 ヶ月前、
シベリウス夫妻の三女キルスティ(1898年生まれ)がわずか2歳でチフスに倒れた。家族の悲しみを乗り越
える旅でもあった道中、クリスマスに滞在したベルリンに住む親友の作家アドルフ・パウル宅の幼い息子は、
亡くなったキルスティを思い出させ夫妻の悲しみを大きくした。目的地イタリアに入り、今度は二女のルー
トが高熱に見舞われた。結局それは大事に至らなかったが、再びチフスが愛娘を襲ったかとアイノ夫人は半
狂乱になったという。そしてほぼ時期を同じくして、アイノ夫人の義理の姉(長兄の嫁)が結核になり、イタ
リアでの静養を希望する手紙がシベリウスの元に届く。それは結局経費の問題で叶わなかったが、やはり
シベリウスの心にも波風を立てたようだった。穏やかで温かな光の中での静養と仕事の日々だったはずが、
暗い影が南欧まで追いかけてきていた。
そしてついにシベリウスがとった行動は、アイノ夫人でなくとも驚いただろう。二女ルートの容体が落ち
着き問題ないと医者に宣告されるや、シベリウスは置手紙を残して一人ローマに旅立ってしまったのだ。し
かしアイノ夫人は賢夫人だった。驚く周囲に対して、夫ジャンには、創作のための静けさと安らぎが必要な
のだから・・・と、実家の母親への手紙に書いている。
後にフィレンツェで再会しフィンランドへ戻った二人には、再び悲しい出来事が訪れた。アイノ夫人の4
歳年長の姉エッリが鉄道自殺を遂げたのである。以前から精神的に不安定であったことが手紙には残されて
いるようだが、シベリウス夫妻の家を訪ねる途中のできごとであったことが、夫妻への打撃をいっそう大き
くしていたと推察する。
シベリウスが交響曲第2番を書き上げたのはフィンランドに戻ってからである。三女を失った悲しみを抱
えながらの旅には、様々な人間模様と心模様があり、完成前の悲劇は作品にもその痕跡を残している。
この交響曲には、もともと2つの音詩に使われる予定であったテーマが用いられている。第2楽章で、ファ
ゴットが奏するlugubre(陰惨な、哀れをさそう)と書かれた旋律は『ドン・ファン』を題材とする音詩のた
めのスケッチからで、これは<死>を主題としたもの。そのあと98小節目の嬰へ長調への転調で突然現れる
<キリスト>の旋律は、ダンテの『神曲』を基とする音詩に予定されていたものだった。また85小節目以降
に現れる金管楽器のコラールには、グレゴリオ聖歌<Dies irae, dies illa(怒りの日)>の冒頭部分から転用
した旋律ラインを聴き取れる。イタリアへの旅の前に立ち寄ったドイツ・スイスでの演奏会で耳にしたフラ
ンツ・リスト(1811-1886)の宗教曲の印象、カトリック国イタリアで接した建造物や宗教文化の刺激は、出
立前の悲しみをこのような形に表現させたと思われる。第4楽章の輝かしい旋律の影に現れる陰鬱な主題
は、義姉エッリ・ヤルネフェルトへの追悼と言われる。
「 自己投影できること」、「共感を呼ぶこと」、「親近感を覚えること」—人気者の条件である。この交響曲に
は、人間の一生に出会う様々な心模様が背景につまっている。
シベリウスは作品冒頭のテンポを初稿の“Allegrettomoderato” から“Allegretto” へ変更している。つまり
当初のアイディアよりもテンポを速くした。「どうして遅く演奏したがるのか」と本人の言葉も残されてい
る。また昨年のNHK「名曲探偵アマデウス」でも紹介させていただいたが、冒頭の小節線を変更して 旋律
の律動感を変化させた。より自然な流れを感じる。この変更にはシベリウス自身の交響曲完成への内面的な
発展があったのではないか。
ともすると私小説のような背景と体験を経て書かれた作品である。前作交響曲第1番と同様の、華麗な管
弦楽法と叙情的な旋律に満ちたロマンティックな作品であるように思われる交響曲第2番。しかしいっぽう
で、その旋律の扱いは後の作風につながるように、断片を多種の楽器でつないでゆく書法、また、リズムの
複雑さに隠れる自然界の摂理、楽器群ごとの強弱の工夫による音響の奥行き・・・後にシベリウス独特といわ
れる作曲の手法が随所に見られ、第1番とは楽譜の世界がずいぶん異なる。そこには、自国フィンランドの
持つ政治的緊張状態と満ち溢れる独立への気風、また彼自身が35歳を過ぎ青年期から壮年期へと移り変わ
る世代であったこと、そして1900年のパリ万博で受けた刺激と自己批判など、<私>の部分を取り巻く外
的環境の刺激も、一歩未来へ歩みを進める要因になったと考えられる。
内側に何かを秘めた、ロマンティックで恰好よい姿・・・これはやはり、昔から今に至まで変わらない、
大スターの条件を備えているのである。
<参考文献>
○ Glenda Dawn Goss, Sibelius
○ Andrew Barnett, Sibelius
○ Jean Sibelius Completes Works Symphony No.2
アイノラ交響楽団第8回定期演奏会プログラムコラム
<無断転記ご遠慮ください>
[2011年4月 5日 10:31]