NHK交響楽団フィルハーモニー2008新年号原稿

 

「フィンランドの作曲家たち」・・・「北欧の作曲家の中のシベリウス」
 
ジャン・シベリウス以前の、フィンランドや他の北欧諸国の音楽状況はドイツからの影響が大きい。そこにはデンマークのニルス・ゲーゼ(1817-1890)という作曲家がライプツィヒでメンデルスゾーンと師弟関係になり、のちにメンデルスゾーンの後継ぎとしてドイツの音楽シーンで活躍した歴史がある。このゲーゼが故国のデンマークに戻り後輩の北欧諸国の作曲家へドイツの風を送り込んだ。ゲーゼはノルウェーのグリーグ(1843-1907)に交響曲を書かせ、またカール・ニルセン(1865-1931)もゲーゼに学んだ。
 
フィンランドに注目してみると、1790年にトゥルク演奏協会が生まれた。これがフィンランドにおいてクラシック音楽の道を発展させた初めの組織だった。作曲家としてはクラリネット奏者としても名高いB.H.クルッセル(1775-1835)、そしてフレデリク・パシウス(1809-1891)フィンランドのオーケストラ活動の生みの親でもあるロベルト・カヤヌス(1856-1933)、マルティン・ヴェゲリウス(1846-1906)そしてシベリウスに交響曲作曲の決意をさせたエルンスト・ミエルク(1877-1899)彼らがシベリウス以前として欠かせない存在であろう。彼らの作品はそれぞれドイツからの影響を強く受け、クルッセルはメンデルスゾーンやウェーバーとも湯治の旅の途中で出会い、それがオペラ作曲への刺激となった。短命であったミエルクはベルリンへの留学でマックス・ブルッフに個人レッスンを受けている。1897年にミエルク自らピアノを弾いたグリーグの協奏曲と同じ演奏会でミエルクの交響曲が披露された。これがフィンランド人作曲家として本格的な交響曲と認められた初めの作品といわれる。シベリウスはこの出来事に非常に刺激をうけ1899年の交響曲第1番の完成へ筆を進めた。
 
シベリウスの作品への評価は音楽家の中でも様々だ。「オーケストレーションがおかしい」「形式が未熟だ」
「理解不能」と指摘する人もいる。しかしこの点がシベリウスの作品を愛する者にとっては魅力のひとつとなっている。
シベリウスが盛んに作曲活動を行っていた時期(1890~1927)は、中欧においてはすでに調性崩壊へと流れ出していた。シベリウス自身その大きな流れを十分に意識していた。ベルリンとウィーンへの留学時代はワグナーの洗礼も受けた。ブルックナーの交響曲にも接した。それは「クッレルヴォ」に代表される1890年代の作品に色濃く表れている。この時点ではシベリウスはまだ中欧の伝統的な書法のままでいわば―衣は中欧-中身はスオミの魂-という時代である。ワグナーに大きな衝撃を受けながらも比較的早くその呪縛から逃げ出している。そのことがシベリウス独自の言葉を生み出す原動力であったようだ。
 
一般的にシベリウスの作品としてすぐに名前があがってくるものが「フィンランディア」そして「交響曲第2番」人気の理由は「起承転結明快な構成」「わかりやすい旋律」この二つの点が中期、後期の作品には目立って少なくなる。世間で不評な「不明確な構成」「わかりにくい旋律」といわれるシベリウスの大きな特徴をもう少し具体的に列挙してみよう。
・音楽形式に則る反復が目立って少ない。同じことを繰り返さない。
・一つのメロディを複数の楽器でつなぐ。音色旋律の手法にも似ている。
・形式的な主題の発展、展開という手法はほとんどとらない。
・木管楽器、金管楽器、弦楽器のそれぞれの群を無用に重ねない。
・上記の楽器群に各々に独立した役割をあたえて、少ない音符の数でも響きの効果を得る。
・持続音が多い(特にホルン、コントラバス)
・弦楽器によるシンコペーションのリズムの持続が多い。(ホルンも同様)
・倍音の効果を最大限に利用して、少ない編成でも広がりのある響きの効果を生み出す
・弦楽器の中でコントラバスだけ役割が全く異なる。ティンパニーとの親和性が顕著
・ティンパニーの役割が特徴的。節を区切る役目ではなく音色の効果を狙い旋律と寄り添うことが多い
・弦楽器の細かい刻みを多く使う。ひとつの音符を拍の中で3の倍数で刻むことと4の倍数で刻むこと違いを効果的に利用。
・同じ音型や同じリズム、ハーモニーの中でも楽器により効果的に強弱の違いを設定している。それによってより奥行きのある響きが得られる。
・クレッシェンドとディミニュエンド両方をあえて混在させて、響きの色合いの変化をもたらす。
そして一口にシベリウスの作品の特徴を表すならば、少ない言葉(音符)で広い世界を描いた作曲家ということではないだろうか。
 
シベリウスの同時代人の中には不思議とピアノ曲や歌曲で活躍した作曲家が多い。オスカル・メリカント(1868-1924)の膨大な歌曲は大衆性もあり人気が高い。「ポホヤの乙女」という初のフィンランド語のオペラも残している。エルッキ・メラルティン(1875-1937)は6つの交響曲を作曲。それはマーラーの影響が強い。トイヴォ・クーラ(1883-1918)はフランス・パリの文化に強い影響を受けていた。シベリウスの弟子であるレーヴィ・マデトヤ(1887-1947)は国立オペラを創設した功労者である。マデトヤもパリに創作の刺激を求め、その文化をフィンランドに報告する役目も務めていた。師匠のシベリウスとは異なりオペラ作曲家として名を残すことになり「ポホヤの人々」「ユハ」の2作は現在でもたびたび上演されている。独特の旋律でフィンランドを描いたウーノ・クラミ(1900-1961)もフランスの管弦楽法に多大な影響を受けている。シベリウスの大木の陰と称される作曲家たちはむしろ海外の影響を明確に作品に残している。マデトヤが、師匠シベリウスの50歳の誕生日に披露された第5番交響曲に対して「シベリウスはベートーヴェン的パトスを持つ現代の唯一の作曲家である」と評し、また「あらかじめ出来上がっていた交響曲の処方箋をもってコンサートに行くような聴衆はたいそうひどい幻滅を覚えるだろう。シベリウスの交響曲にはその内容からくる独自の形態があるから」と記している。これこそが現代においてもシベリウス作品への評価が分かれる理由であると思う。
そしてシベリウスが19世紀と20世紀の大きな変化を体感していた中で、何を聞いていたか、何を聞こうとしていたか・・が作品の独自性の裏付けになっている。静寂を何より大切にするフィンランドの文化気質。終の棲家のアイノラにおいて物音ひとつさせることにも気を使ったアイノ夫人の支えがあって守られていた厳粛な静寂の時間。その中でシベリウスが聞こえたもの、それは次の「音詩タピオラ」に凝縮されている。
 
「タピオラの意味するもの―フィンランド社会におけるカレヴァラ」
 タピオという森の神の棲むところという意味を持つタイトルの「音詩Tapiola-タピオラ」は、シベリウスが世に送り出した交響的作品の最後のもの。
 
青年医師エリアス・リョンロートが、カレリアの地を巡り採取した様々な叙事詩をつなぎ合わせて、物語として成立させた文学-カレヴァラ-という民族叙事詩は1835年に出版された。のちに1849年に改定され、それを新カレヴァラと呼ぶ。我々が通常目にするものはこの新カレヴァラである。新カレヴァラに登場する人物や話のいくつかはリョンロートの創作である。このカレヴァラという文学がフィンランドに果たした役割と影響は多大なものがあると研究者たちは記している。また同時に海外へ与えた衝撃も大きかった。
8音節の詩行が繰り返され、韻律が踏まれて音読するとリズムが浮かび上がりカレヴァラ自体が音楽であることがわかる。それは5拍子で「カレヴァラリズム」とも俗に言われる。そのような素晴らしい歌謡に魅せられた人は多かった。アメリカでこのカレヴァラを題材に1880年ころすでに作曲を試みていた人物がいた。題材についてラフカディオ・ハーンに尋ねている。ハーンはカレヴァラの神秘的な魅力を、ワグナーが題材にした北欧神話や、またギリシャ神話など足もとにも及ばぬという答えを返していた。
 
「誰もが自然に親しむ権利があり、また誰もがそれを守り育てる義務がある」とフィンランド国家は謳う。そこにはカレヴァラを誇りに思い、人間を自然の一部と実感し日々の生活にそれが染みついているフィンランドの姿がある。そして多くの芸術家がその素朴な自然を描く。
 シベリウスの作品には人が登場しないとよく言われる。作り手の想いが描かれることが少ない。音から浮かび上がるのは自然や宇宙の姿である。それを最も見事に描いているのがこの「音詩タピオラ」である。
冒頭にかろうじて旋律として認識される弦楽器群。森の奥深く聞こえるティンパニーの音に覚醒し歌いだす。筆者は2007年の夏にフィンランドのコリ国立公園を歩いた。ここは手つかずの森が残る。第4交響曲のモチーフを得た場所でもある。厳しい岩肌、荒々しい倒木の重なり、木々をゆすり岩肌に渦巻く風の音、高台から森を上から眺めることができる景観。それは森を駆け巡ったワイナミョイネンの足跡を実感できた。雷鳴轟く日には、容赦ない閃光と炸裂する音で生きた心地がしないであろう。鳥の鳴く季節では、むしろ鳥たちが人間を支配し導き、森の真理を教えてくれるだろう。大地が生まれた日からそう多くは変化を持たなかった土地からは、変わらぬことの重みとすごさを感じる。それらがすべて「音詩タピオラ」には描かれている。シベリウスは自然のありのままの姿を見事に楽譜に写し取っている。
音楽形式の規則的なフレーズや律動を作らず、ランダムな動きを表現することで大きな流れと統一を得る。永久に続くかと思うようなオスティナートの伴奏の音型は表面的な変化を渇望する人間の愚かさへの警告にも思われる。同時期に書かれた交響曲第7番はハ長で終止している。そしてこの「音詩タピオラ」はロ音に始まりロ音に終わる。ハ長の持つ明快さ、清潔さはシベリウス自身の交響曲への理念の一つの答えと見える。そしてロ音に終わるタピオラには大きな課題を残したと思う。それは人智では測りきれない自然の力への畏敬の念、人間が踏み入れない謎を謎として残す、そのような想いをこのロ音の静かな終止に聴くことができる。個人的なことだがこの作品を指揮すると一つの人生を体感する。
 
現実的にはカレヴァラのふるさととされる、東カレリアの地は実はフィンランドの領土ではない。現在のロシア領となっている東カレリアの地区は歴史の中でフィンランドの領土になったことがない。しかしフィンランドという国にとって、このカレリア地方はまさにカレヴァラのふるさとであり、精神のよりどころであった。長くスウェーデンに支配されていたことで、フィンランドはスウェーデン語を公用語としていた。フィンランド語は民衆、農民の言葉として公では使用されなかった。それがこのカレヴァラ採取によって、フィンランド語による民族のアイデンティティの確立を呼び起こし、政治的な活動にもつながることになった。2月28日はカレヴァラ祭となっている。1835年の2月28日にはじめのカレヴァラが出版されたためである。18世紀終わりから少しずつ始まっていたフィンランド語の復興の歴史。1809年にロシアの大公国となったことで、それまでのスウェーデン支配の時代よりも、よりフィンランドを意識する機会が増えた。ヨーロッパの民族ロマン主義思想も入ってきた。フィンランド語に民族の独自性を求め活動する「土曜会」という文学サークルに、エリアス・リョンロートは所属していた。シベリウスも歌曲を多く書いた作家・詩人ルーネベリもこの中にいた。若い文学者たちがフィンランド語をもって独立への気運を高めていたとも言える。後年、東カレリアのフィンランドへの併合の必要性など大戦の中でカレヴァラが利用されたこともあった。1917年に独立したフィンランドは今年独立90周年を迎える。国家としてまだ新しい歩みのフィンランド。しかしその人々の中に深く眠っていた自然への畏敬の念と祖国愛。シベリウスという作曲家が見事にその想いを代弁し今日につないでいる。
 
<無断転記ご遠慮ください>
[2009年1月28日 20:44]

森と湖の詩日記
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