この1年どうしてエッセイを書かなかったか・・・書けなかったのが正直なところ。 深い理由はない、でも理由は深いような気がする・・。
BeethovenのSym9を聴きながら改めて思うこと。この曲をもっとも演奏しているのは日本であり、歌ったことがある人がもっとも多いのは日本だろう・・。映画も新たに作成され、毎年の「第9」企画も続いている。クラシック音楽の一つの代名詞になっていて、この作品が日本のクラシック音楽文化を代表しているのは明白。きっと来年から、そこに「7番」が加わるのが日本の音楽界なのだろう・・。なんともヘンな国であるのはこれもまた明白・・・。
クラシック音楽がよそ様の文化であることには変わりはない。でも1860年以降の西洋音楽導入からまもなく150年。ようやく・・・本当にようやく深い部分でも自分たちも一緒に関われる文化として自信を持って語り、そして正面から楽しむことをできる人が増えてきているのではないか・・・・技術の導入や勉学というレベルでは日本人はかなり熱心に励んできている。もちろん世界に通用する音楽家として羽ばたいている人もすでに山ほどいる。
言語を習得するのに、ある程度までは勉強と技術と慣れでこなせる。しかしその先は経験の時間がものを言う。言語を習得してもそれを精神活動の深い領域においてまで使いこなせるには長い時間が必要だ。クラシック音楽も同じ事だ。演奏家も聴衆も双方が時間をかけてこの音楽文化に接し、味わい楽しみ・・・という時間の経過が必要だった。楽譜や知識という表の情報の背景にあるものまで、もととなる文化言語で感じられるようになると、その表面の情報の見え方も理解の仕方も味わい方も変わってくるだろう。
そして今後の一番の課題は・・おそらく・耳。これはどうしようもないことではあるが、母語の響きが異なることは音楽の耳にも大きな影響がある。ハーモニー感、調性感・・もちろんリズム感も・・・私はこの部分は「どうしようもない壁」として受け止めたほうが良いと思っている。「日本」をやめることはできないからだ。もちろんこの壁を楽々とクリアーする音楽家もいる。
恐ろしく短期間に日本の作曲家は西洋音楽の語法を手に入れて世界へ向けて作品を発表し続けた。しかし一方たくさん作られるのに、どういうわけか国内での演奏はとても少なかった。演奏家も聴衆もなかなか「自分たちの音楽」と認めたがらなかった。それが近年変わってきている。幸い交響楽の邦人作品がCDのシリーズ化で次々にリリースされている。また数十年にわたる吹奏楽界の功績で若い作曲家も次々に作品を作り演奏される機会を得てきた。そういう時間をかけた蓄積が今日本のクラシック音楽界に非常に豊かな土壌をもたらし始めた。ようやく・・ようやくだと思う。日本はもっともっと自分たちの文化が生み出した自国の音楽に自信を持ってよいと思う。あくまで個人的な実感であるが。
2006年の自分は何をしてきたか・・。冬・春・夏・秋・・とすべての季節にフィンランドを訪れた年でもあった。冬と夏の仕事は長期にわたったので、じっくりSUOMIの大地を味わうことができた。2007年のフィンランドでの演奏会への道もでき、その先を準備しようというこのごろ。指揮者という仕事の多様性に少し自分自身整理整頓をしなくてはいけない世代に入っている。
これまで音楽大学での職を3箇所で頂いてきた。これは本当に充実した貴重な場で、特に14年間務めた大阪の相愛大学での日々は感謝に耐えない。しかし今年でこの大学の職を離れることとした。一番大きな理由は「次のステップ」への時間を作るため。そして「でっかく」なってまた学生たちに会いたいためでもある。
相愛大学での14年間は自分の師匠、尾高忠明先生、兄弟子円光寺雅彦さん、同世代の先輩指揮者梅田俊明さん、そして大阪で長くこの大学のオーケストラを育てていらっしゃる戎谷六雄先生との共同作業の場、自分にとっては一つの修行の場でもあった。14年前というと自分はまだプロデビューを果たしたばかり。コンクールの賞を頂き様々なプロの場でひよっことして歩き出したところ。そんな若造が音楽を学ぶ学生相手に何ができるか・・・自分も学ぶことしかできなかったのである。
普通の演奏会のリハーサルと同様、授業ではリハーサルを行うだけなのだが、相手は学生。今何が必要で何をしなくてはいけないか、瞬時に判断をしてリハーサルを組み立てる。相愛大学の場合、春から秋の定期演奏会まで時間をかけて作品を仕上げていく。なおさら指揮者にとって考える時間は多くなる。「ここまで」という限度はないのが芸術。仕上がりも「これでおしまい」はない。限りない追求を続けて本番に到着する。ある意味オーケストラと指揮者という立場の異なる音楽家同士が長い時間を費やして作品に向き合っていくのである。
夏の合宿もある。指揮者揃い踏みでその中で指揮を担当するのは、なかなか精神的に厄介なシチュエーション。師匠はいる、先輩はいる・・他の楽器の先生方も見ている・・・でもやるしかないのだ。指揮者とは指揮台の上では「裸」である。「まな板の上の鯉」どころではない。MRI検査状態。指揮者同士、ほとんど「アヤツは今、何を考え、何をしようとしているのか」わかってしまう。そして「なぜ今ダメだったか」「何を困っているのか」見事に見えてしまうものだ。師匠もいらっしゃるわけだからその時の自分の状態は今思うと「よくやった!」といいたくもなる。幸い当時は恐ろしく低血圧の自分だったためか、「どきどき」がちょうど良い状態にしてくれていたのだと思っている。自分のリハーサルのあとでしっかりとアドヴァイスを頂き、そしてまた先生としての立場と修行僧としての立場を兼任する任務につくわけだ。
こうして書いていると苦行のように思われるが、とんでもない!相愛大学での日々は本当に楽しく幸せであった。小さな大学ゆえに非常に学生に目が行き届く。先生方も学生のためをしっかり考えて丁寧な指導をなさる。学校あげて暖かいのだ。学生たちも熱心でそして心根が優しい学生が多い。この大学は音楽教室を持っている。その付属機関に小学生と中学生のオーケストラがある。これがまた素晴らしく優秀なのだ。関西圏の熱心に学ぶ生徒さんが集まっている。見事なアンサンブルとなる。このDオケという小学生の弦楽オケ、そしてCオケという中学生の弦楽器と大学生の管楽器・打楽器・ヴィオラ・コントラバスのオーケストラとの出会いもまた自分にとっては大きな糧となった。
もともと子供が大好きである。指揮活動を始める前、勉強していたころは子供たちにピアノを教えていた。学費も稼ぐ必要があった。楽譜も高い、自分のレッスン代もかかる。真っ白な子供たちと音楽をはさんで語る日々は、自分のボキャブラリーも増やしてくれた。子供たちの率直な疑問や素直な感覚は自分の財産として残っている。相愛大学のDオケ、Cオケでも同じ。自分の鏡のように反応する子供たち。大人顔負けの感受性と音楽性。どれだけのたくさんの音楽的な時間を彼らから受け取ったことか・・・そうして彼らが大人になり世界に飛び出していく姿を見てきて、自分自身がもっともっと積極的に大きくなる努力をしなくてはダメだと思い知ったのだった。
オーケストラという現場で成し遂げたいこと、一緒に作り上げていきたいことが自分の中にたくさんたくさん蓄積されている今、これからの歩みを自ら開拓していかなくてはならない。自分はまだフリーの身。何の保障もない。自分を作り上げるのは自分だけである。師匠ともじっくり相談ができ、自分自身ともよく向き合って人生後半への新たな道を歩く決意をした2006年でありました。
ライフワークの北欧音楽との関係は来年深まる。今年はその仕掛け、仕込みの年。2007年にどんな形となりますか、自分でも楽しみな状態。指揮活動は一人ではできない仕事。多くの人と気持ちよく良い仕事を成し遂げるには、当たり前ではあるが、自分は誠実に楽譜を読み、まっすぐにオーケストラと向き合い、ていねいにお客様に届けるという当たり前のことをやるしかない。来年もそれは変わらない。音楽以外の作業も山ほどこなさねばならない日々ではあるが、素敵な作品たちのためにやはり歩き続けたいのである。
ニッポンは2007年、社会的にも大きな変化がおきるよう。ニッポンとしての哲学を持って政治・経済・教育・文化・スポーツ・・・すべてのことが本当に「美しく」育っていけたらと願わずにはいられない。せめて自分が関わる部分だけでも、自分の信念にウソはつきたくないものだ。小さく弱い自分ができること・・・目の前のことを大切に。
どうぞ皆様も良い年をお迎え下さい。日々豊かな音楽につつまれますように。
2006年12月31日