9月30日(火)オーケストラは完全にオフだった。天候も良好。私も夕刻より数名のメンバーと東京を歩いた。お台場の観覧車にも初めて乗った。東京の様子が一目で見渡せる。北欧では見る事のできないタイプの夜景、「東京は遊びには来たいけれど、住むのは嫌だ」という感想は納得。
翌10月1日は「クッレルヴォ交響曲」のリハーサル。ヘルシンキ大学の男性合唱団も前日に日本に入っていた。リハーサルは夜間だったので、日中はオーケストラのメンバーはフリー。鎌倉まで海を見に行ったメンバーもいた。トロンボーンのユッカ・レヘトラ氏は宿泊先の品川のホテルから東京タワーまで歩いていったそうだ。タワー下の土産物店に非常に感激していた。歩く事は苦にならないお国柄らしい。そういえばラハティでも自転車通勤、徒歩通勤の人も多い。
リハーサルは本番会場のすみだトリフォニーホール。このクッレルヴォ公演は今回の目玉だ。出演者がすべてフィンランド人という構成で他国で聴けるということはまずないであろう。合唱団は70名弱。ソリストは ソプラノにパイヴィ・ニスラ女史、バリトンにライモ・ラウッカ氏。ソリストのニスラ女史のご主人はホルン奏者として知られている。ラハティのホルンセクションにもニスラ女史は既知のようで、ステージに登場した時も歓迎の声が挙がっていた。ラウッカ氏は以前もクッレルヴォのソリストとして聴いている。ヘルシンキ大学の合唱団も1883年結成であるからもう120年の歴史を持つ。ラハティ響とも様々な公演で共演している。合唱指揮のマッティ・ヒュオッキ氏は有名な合唱指揮者であり、ヴァンスカ氏も信頼しているパートナーだ。
リハーサルは楽章順に行っていった。すみだトリフォニーは4年前の来日公演でのシベリウス交響曲全曲演奏会の会場だったため、メンバーも響きを覚えているようだった。ホールの環境もホール自体もとても気に入っていた。クッレルヴォの演奏はおそらく2年ぶりになるラハティ響。しかし初めから朗々と音楽が自信を持って語られていく。「自分達の音楽だよ」という自負と作品への尊敬の念。それらが感じられる。3曲目のソリストとのからみは、やや早いテンポを取るヴァンスカ氏に対して この作品に初めての挑戦となったニスラ女史は少し戸惑っていらしたか・・・。合唱が登場の3楽章と5楽章はいつもながら圧巻。合唱団はリハーサルから暗譜のメンバーもたくさんいる。時差のためか少々疲労感を漂わせる団員もいたが、ヴァンスカ氏も粘り強くリハーサル。10時近くまでかかった。
翌日は朝11時からリハーサル。これはラハティでのいつものパターンだ。金管のバランスが昨日少し気になったのでヴァンスカ氏にお話したら、この日は1段位置を下げていた。又合唱団のテキストの語り口もヴァンスカ氏の指示でかなりクリアーになった。2階席でリハーサルを見ていたら、クラリネットのマッティ・ロウヴァリ氏からリハーサル模様の撮影の依頼が。旅行中小型のヴィデオカメラで記録しているそうだ。14時にリハーサルは終了。この日はホテルへ戻る予定を変更して、自由行動となった。演奏会まで思い思いに出かけていった。私達は若いホルン奏者、ペトリ・コムライネン氏とテロ・トイヴォネン氏を銀座ヤマハに案内した。
私は一度自宅に戻り6時に両親とホール楽屋入り口で待ち合わせ。夕方ホールへ戻るとやけに警備が厳しい。錦糸町の駅から何人もSPらしき人に出会う。これは・・・・と思っていたらステージマネージャーのミカ・クペリ氏が「皇后がいらっしゃるよ!」と教えてくれた。事務局長トゥオマス・キンベリ氏も慌しく動いていらした。そしてヴァンスカご夫妻が登場。セレモニーが演奏会前にあるとのこと。俄かに黒服の警備の人も楽屋周囲に増えてきた。この辺で我々はコンサート会場へ移動。全国のシベリウスを愛する人が集合しているようなロビーの様子だった。評論家諸氏の姿も多く見られた。
会場には独特の空気が漂っていた。特定のアーチストを追い求めるタイプの期待感ではないこの日の公演。この環境で聴くことは今後不可能であろうという切実な想い、最高の組み合わせでの演奏への期待感、作品への憧憬等など・・。静かな緊張感が充ちていた。オーケストラメンバーの登場、そして合唱団。この日も大きな拍手で迎えられていた。そこへ皇后美智子様の登場である。傍に館野泉氏の姿も見えた。聴衆は2階席の様子とステージを交互に見ながら両方に拍手を送っていた。
休憩を挟まない、80分の公演。この空間は生涯忘れる事はできないであろう。
ヴァンスカ氏が非常に力が入っていたのが見て取れた。気持ちがはやるのか、初めの楽章は少しオーケストラとのコミュニケーションに隙間が見られた。しかしコンサートマスター、ヤーッコ・クーシスト氏のサポートで次第に落ち着いていく。大河ドラマの音楽のような第一楽章が終了すると、なんともいえない静寂の間が広がった。咳払いさえ聴こえない。聴衆の鼓動さえ聞こえそうな緊張感。これを感じた瞬間、この日の特殊な状況を深く認識した。アンサンブルの難しい第2楽章も無事終わり、オーケストラもどんどん音が出てくる。第3楽章もソリストは集中力を持って歌いきっていたと思う。もう少しどちらも、語りのドラマがこなれていれば・・・と感じるところもあったが・・・。軽快な第4楽章はラハティ響ならではのスピード感がある。そして深い響きが全編覆う第5楽章。この男性合唱からは カレワラの叙事詩にある深い神秘性が見事に聞き取れる。最後の一説を力強く歌いきる時、いつも大地の震えを感じる。そして万雷の拍手。純粋に音楽的成功もさることながら、何か特別なものがあった演奏会だった。
アンコールの1曲目は合唱指揮者マッティ氏が指揮をして、美智子皇后様が以前訳詞をなさったというハイカイネン作曲「アンニーの歌」だったそうだ。2曲目は合唱つきのフィンランディア。後に讃歌となった中間部分と最後そのメロディが一部戻ってくるところにヴァンスカ氏は合唱を参加させる。期待していたお客様も多かったと思う。外国人である自分が言うのはおこがましいが、フィンランド人しか本当には分からない想いが伝わってくるような演奏だった。SISUの魂を持つ彼等の内なる叫び。そして3曲目は悲しきワルツ。この日は通常のバージョンのものだった。ピアニッシモの美しさは会場に染み渡っていたと思う。
終演後公式レセプションがあったためヴァンスカご夫妻とヤーッコ・クーシスト氏は慌しく会場に移動していった。私も仲間と繰り出した。後で聞いた話であるが、全国から集まった北欧音楽のファンの集まりは、あまりの深い感動に言葉も出ず静かな集いとなったそうだ。
メンバーは品川のホテルにバスで帰還。翌日は松本への移動が待っている。これはバスでの移動だったそうだ。そして4日には東京に戻り、今回早くから売り切れていた武蔵野市民文化会館での公演。ここで初めてチャイコフスキーの交響曲第5番のお披露目となった。翌5日は大阪へ移動。その日の午後にシンフォニーホールでの演奏会。ここもチャイコフスキーを含むプログラム。これら3公演にはあいにく私は自分の仕事が入っており立ち会えなかった。この三日間は移動も含めハードなスケジュールだったと思う。6日は大阪でのオフ。多くのメンバーが京都へ足を伸ばしたらしい。お土産もたくさん買い込んでいた。大阪での宿泊のホテルは温泉があり、そこを利用したメンバーとし損ねたメンバーの間で喧喧諤諤。温泉体験者は非常に喜んでいた。そして7日、福岡公演。ここで再会となった。
2003年10月29日