2003年9月29日(月)のサントリーホール公演を皮切りに全国7会場での来日公演は無事に終了。オーケストラも帰国して平常の公演スケジュールに戻っているようだ。すでに当地ラハティは初雪、毎朝わずかの積雪が見られるとのこと・・今年も冬への足跡はしっかり刻まれているようだ。
9月28日(日)私は都内ティアラ江東というホールでオーケストラ・エレティールの指揮をしていた。終演後楽屋へ思いもかけぬお客様が尋ねてくださった。ラハティ響のメンバー二人、ヴィオラ奏者のマルヤッタさん、そして最年長で以前のコンサートマスターの1stヴァイオリン奏者ヴェイッコさん。オーケストラはこの28日の朝、成田空港に到着している。ホテルに荷物を置きその足で駆けつけてくださった様子。感激の対面だった。日本のアマチュアオーケストラのレベルに驚嘆していらした。因みにこの日のプログラムは、ロッシーニ「ウィリアムテル序曲」・ショスタコヴィッチ「交響曲第9番」・バルトーク「オーケストラのための協奏曲」というかなりハードなものであった。
翌9月29日(月)サントリーホールでのステージリハーサルに向かう。ステージ袖には見慣れた顔顔顔・・・「Terve!」「Hei!」などなどの挨拶とともに握手を交わす。指揮者オスモ・ヴァンスカ氏はコンサートマスター、ヤーッコ・クーシスト氏とステージにいらした。「Hei,Yuri!」といつもの笑顔で迎えてくださった。飛行機の旅も順調でお元気の様子。サントリーホールでの演奏はヴァンスカ氏ご自身は2度目、何も心配をしていないとおっしゃっていた。公演初日はオールシベリウス。カレリア序曲・ヴァイオリン協奏曲・交響曲第2番というもの。今回はこのプログラムとチャイコフスキーの交響曲第5番を協奏曲の代わりに入れたものと、交響詩クッレルヴォの公演の3種類。
まずはカレリア序曲の音を出す。少し反応が鈍いか、手探りをしている様子のオーケストラ。ラハティの本拠地シベリウスホールよりは大きな空間である、反響のタイプも全く異なる。メンバーは天井を見上げながら響きを確認して演奏していた。12型編成の小ぶりのオーケストラである。絶対的な音量は他のオーケストラに比べ不足かもしれない。しかしそのダイナミックスの幅は非常に緻密な表現力を伴い広いものを持つ。柔らかな暖かい弦楽器の音と内省的な木管楽器のソロが響いていた。交響曲第2番のリハーサルは、メンバーからのリクエストで第3楽章から。テンポ設定は非常に速いためアンサンブルにおいて神経質になるところだ。第4楽章へのつながりの部分は非常に難しい箇所。繰り返し確認をしていた。ヴァンスカ氏も粘り強く仕上げていく。第2楽章の冒頭はコントラバスもチェロも信じがたいほど音が一つになる。中間2箇所のテンポ設定の違いは厳密に演奏する。この楽章の最後のテンポも厳密に楽譜を守っている。これによって生まれる不思議な音の空間は絶対的なシベリウスの言葉というものを伝えているように私は思っている。
そしてヴァイオリン協奏曲のソリスト合わせである。まだ23歳のデイビッド・ギャレット氏。グラモフォンと最年少で契約したという宣伝で世界を飛び回っているそうだ。来日公演前のラハティでの演奏会でも一度共演してきている。リハーサルは非常にリラックスした態度で臨んでいた。ファッションもまさに今風・・・帽子を被り穴あきジーンズでロック歌手のような出で立ち。その雰囲気のままシベリウスの冒頭が始まった。
冒頭のテンポの確認にどのくらい費やしたであろう・・。全ての音は出さなかった。
リハーサルは18時近くまで行っていたため、終わってホール入り口に出るとすでにお客様も集まってきていた。1999年の初来日からこの日を待ち望んでいたお客様も多かったようだ。軽食を取り客席に向かう。今回の来日公演にあたってプログラムにエッセイの掲載を依頼されていた。初めてのことで正直かなり緊張していた-と今となっては思う。シベリウス協会の会報へも原稿を依頼されていたので、この夏はラハティ響-ヴァンスカ氏とシベリウスについてあらためて振り返ってみた時間を過ごしていた。一時でもライターの気持ちを味わったと言っては失礼にあたるだろうか・・。自分はとても作家にはなれないと思った。ステージに居るほうがはるかに気持ちが落ち着く。
客席にはヴァンスカ氏の奥様ピルッコさんの姿もあった。今ヴァンスカ氏の兄夫婦が日本にお仕事で滞在なさっている。そちらも訪問されたらしい。客席は9割ほどの入りか・・。メンバーの入場では自然と拍手が沸き全員揃うまで続いていた。嬉しいことだ。ラハティでの公演もいつもそうである。これは相互に気持ちが高まる良い習慣だと私は思う。日本のオーケストラもこのようにお客様は迎えると良いのに・・自分達のオーケストラなのだから・・・・。それはともかく、コンサートマスター、ヤーッコ・クーシスト氏はいつものように足早に登場。チューニングは金管のみB♭で行う。これに違和感を覚える方もいらっしゃるようだ。合理的であると思うのだが・・・楽器の専門家はどうなのであろう。
指揮者オスモ・ヴァンスカ氏の登場。前回と違う事はしっかりと客席へも目を向けての登場であることだった。初来日の際には、シャイな様子でほとんど下を向いて足早に登場し、お辞儀もそこそこに指揮台にあがり、ステージから去るときも逃げ去るような様子だった。ここ最近ヴァンスカ氏のステージマナーが変って来たとラハティでも感じている。カレリア序曲はゆったりとしたテンポを設定している。あまり演奏されない作品だが、私は組曲より好きである。素朴で勇壮な味が凝縮されていて、古のフィンランド人の生活が目に浮かんでくる。オーボエのユッカ・ヒルヴィカンガス氏のソロもひなびた雰囲気で素敵だった。
そしてヴァイオリン協奏曲。ソリストの衣装はスタイリッシュなスーツ。オーバーシャツのデザイン。ファッション雑誌から抜け出してきたような雰囲気だ。背の高いハンサムなソリストであるから、余計にその印象が強い。ヴァンスカ氏もラハティ響もいつものスタイルを全く崩さないサポートをしていた。そしてソリストはそのシベリウスの世界の中に行儀良く寄り添おうと努力していたような演奏だったと思う。もともとの持つ音楽性が全く異なるということは、聴衆へもすぐに伝わっていたようだ。休憩時間はその話題が多かったように思う。指揮者沼尻氏もロビーに姿があった。久しぶりに会った。「非常に良いオケですね」と感想を語っていた。
交響曲第2番はラハティで演奏を聴いたことは音楽祭以外、実はない。ヘルシンキのオーケストラもあまり国内では演奏していないのではないだろうか。個人差はあるだろうが、メンバーの大多数の意見は、シベリウスの交響曲だったら「3・4・6・7」を演奏したいということだ。もちろんそれらは難しい、しかしフィンランドの魂が込められた作品だと誇らしげに語る。日本では圧倒的に2番への人気が高い。最近は6番を挙げる人も増えているようだ。私自身も今年は2回6番を演奏する。
ラハティ響-ヴァンスカ氏の第2番のスタイルは、一言で言えば贅肉を殺ぎ落とした演奏といえる。この交響曲の背景は今まで様々に言われてきた。「愛国心をベースにしている」、「いや作曲者はそのことを否定している」、「イタリアからの望郷の念だ」・・・それらすべてを包み込み、フィンランド人として祖国への想いを素朴に語ったスタイルといえば良いだろうか、そのような印象を受ける。余計な情感や思い込みは排除して、まぶたに浮かぶ祖国の自然をダイナミックに描いたもの、この日もそんな演奏だった。この春、読売日本交響楽団に客演したフィンランド人指揮者セゲルスタム氏とは正反対のスタイルである。そして、アンコールではなく、本プログラムの最後として、フィンランディアを演奏。これはいつ聴いても圧倒的なものである。この作品の意味を知っていないと語れない力強さと悲しさが漂う。国歌に準ずる扱いをフィンランド国内でも受けているが、特にこのコンビが演奏するとその味わいが深い。1899年の初演の風景が想像できるような強い想いを感じる。
アンコールは大サービス、劇音楽テンペストから「ミランダ」という魅力的な小品、そして「ある情景への音楽」という来年のシベリウス音楽祭で取上げられる予定のもの、これは今年の音楽祭でもアンコールで演奏されていた。そして「悲しきワルツ」の原典である、クオレマの中からのワルツを聞かせてくれた。
終演後、日本フィルハーモニー交響楽団首席トロンボーン奏者、箱山芳樹氏とラハティ響のトロンボーンセクション3名を囲んで数名でお好み焼き屋に行った。トップページ下段の写真はその時のものである。箱山氏は昨年3月にオーケストラの演奏旅行で、ヨーロッパ数カ国を周り、最後のエストニア公演の後フィンランドを訪れヘルシンキとラハティで数名の学生のレッスンをなさっている。その折にラハティ響のトロンボーン奏者ヴェサ・レヒティネン氏と交流があったので今回この会食となった。お好み焼きは彼等のリクエストだ。広島風のお好み焼きを以前教えてもらったそうで、(広島交響楽団のトロンボーン奏者松田氏とも親交があるため)ぜひそれを試してみたいということだった。楽しく美味しい席となった。翌日9月30日は彼等はオフだった。築地市場・銀座ヤマハ・秋葉原・浅草・鎌倉、そんな地名がメンバーの口から語られていた。来日公演初日の夜はふけていった。
2003年10月24日