北欧5ヶ国とフィンランドのお向かいのエストニア初めバルト三国は、民族、文化、政治的な関連は深いものの別の国家である。特に政治的にはソ連の時代を経ているためバルト三国は複雑な歴史を歩んできた。
そのエストニアから先月女性指揮者が来日。アヌ タリ女史である。彼女のことはフィンランドでも耳にしていた。2000年の夏にラハティ響にも客演しているようだ。丁度私の研修と入れ違いだったため、あいにくコンサートには立ち会えなかったが楽員から話はきいていた。イリヤ ムーシンやヨヌラ パヌラに師事し勉強を積みながらエストニア・フィンランド交響楽団を双子の姉と立ち上げ演奏活動を行っている。最近は他国への客演も増えているとのこと。
東京で実際に会うことができ、話をする機会を持てた。リハーサルでは非常に主張のはっきりした明快な指示をしていた。その徹底の仕方、求める音の厳しさは彼女の音楽の特質と人間的強さを感じられた。何も飾ることなく明るく自然な立ち振る舞いで、音楽を描くことに集中していて心地良かった。どちらかと言うと、コンサート本番の方が指揮のスタイルは大人しくなっていた。
彼女が祖国の音楽を携えての初めの二つの演奏会では、トルミスとエッレルという二人のエストニア人作曲家の作品が披露された。私はエストニア作品はまだ手がけたことがないが、指揮者ヤルヴィ一家による演奏やスコアでいくつかの作品に接していた。今回の二人の作曲家も実演は初めて。首を長くしてこの演奏会を待っていた。
ヴェリヨ トルミス(1930~)は他国の支配を長いこと受け圧制に苦しんできたエストニアを離れずに多くの作品を生み出してきているそうだ。エストニア出身のアルヴォ ペルトは合唱作品でも有名で近年は管弦楽作品もその透明な神秘的な響きで日本でも演奏回数が増えている。しかしペルトはドイツへ亡命をした作曲家である。1991年にエストニアは独立を果たした。ソ連による圧政下の時代にラハティ響にもエストニア人の奏者が在籍していたが、体制の厳しさは時折思い出話としてきくことがある。現在エストニア人音楽家のフィンランドと祖国の行き来は頻繁に見受けられる。逆のケースも多い。なんと言っても近い。首都タリンとヘルシンキは100キロほどの距離である。海を挟んでいるが、ここを高速艇なら40分、クルージングなら一晩かけて、と渡航方法もさまざまだ。フィンランド人はエストニアに良く買い物に行く。お酒が安いようでビールの箱を山積みにして船を降りてくる姿をたくさん見る。ガラス製品も有名。独立後の近代的な街への転換も今急ピッチで行われている一方、中世の面影を残したタリンは魅惑的な街だった。
話が脱線したが、言語も民族もエストニアはフィンランドと親戚にあたり、カレワラ伝説もエストニアに存在した。トルミスは1960年代に民族主義に目覚め、エストニア各地で民謡の採取などを行っていたそうだ。農家に生まれてタリン音楽院とモスクワ音楽院に学んでいるということ。採取した民謡は合唱曲にふんだんに盛り込まれ、トルミスの作品の9割が合唱作品であるらしい。今回アヌ タリ女史が用意したのは1959年作の「序曲第2番」悲痛な勢いを持ったすばらしい作品と私は思った。日本の作品にも通じるものが感じられた。形式も音楽語法も非常にわかり易く簡易であるが、素朴な響きが魅力的であった。
もう一方 ヘイノ エッレル(1887~1970)の交響詩「夜明け」は実に夢見るような美しさを前面に押し出した作品であった。後期ロマン派と解説されていたが シベリウスと同時代のフィンランド作曲家に同様の色彩を持って描く人は多い。蛇足だが、日本語の表記だとどうしてもエッレルとなるが、どう聞いてもエッレという発音。このような難しさが北欧の作曲家には多い。たとえば、有名なLindberg、リンドバーグと読ませる他国の人もいるが、スウェーデン、フィンランドではリンドベルィと発音。(決してこれも正確ではないのだが)指揮者のBerglundもベルグルントではなくベルィルントと発音しないと通じない。デンマークの作曲家Gadeもガーデではなくゲーゼの方が実際の発音には近いようだ。カタカナ表記は難しい・・・・
又脱線した。上記作品の楽譜の入手が難しいのでそのあたりを彼女に聞いてみたが、やはり出版されていないものであるため、必要な時はレンタルになるそうだ。フィンランドと同様、国の音楽情報センター機関が楽譜を管理しているようだ。
今回のような作品に価値を見出す聴衆と背を向ける聴衆の両方が存在するだろうなと思いながら本番を聴いていた。それは演奏家にも言えること。新しさというものは語法的には存在しないが、中欧を基準にしない考え方の中ではこれらの作品も十分に新鮮で喜ばしい作品であると私は思う。「~~に似ている」「~~風だ」というコメントは時として様々な作品を知り、感じ味わう機会を狭めてしまうことにもなる危険な姿勢かな、と実は会場で耳に入る感想の言葉から感じた次第。ベートーヴェンの有名な交響曲も実は民謡がもととして使われ発展させてあるという研究分析を読んでいると、世界中鼻歌で良いではないか!と思うのである。シベリウスは尊大にも!?若い頃「ベートーヴェンの才能はたいしたことはない!ただ、たゆまぬ努力の中でそれを偉大な芸術に高めていった」と発言している。彼の言う才能とは恐らく作曲の霊感を意味するものと思われる。そしてシベリウスにとってはモーツァルトやメンデルスゾーンの才能が神の域に達していると感じていた。鼻歌と崇高な芸術的な境地は紙一重である。それは私の今の姿勢。又脱線した。車両転覆間近か・・・・・
今回ソリストとしてプロコフィエフの「交響的協奏曲ホ短調作品125」を演奏した、ヤン-エリック グスタフソン氏はラハティでもヘルシンキでも何度も聴いているソリストである。ラハティではチェロフェスティバルが行われたが、そのときにもソリストとして客演していた。1970年生まれで技巧派の名手である。今回もその超絶技巧的な作品の一面を余裕を持って弾きこなしていた。大柄な(特に手が大きい)押し出しの強いキャラクターと感じている。名前から察するにスウェーデン系のフィンランド人だと思われるが・・。
フィンランドはチェロの層が厚い。言わずと知れた名手、名教師アルト ノラス氏の教えの賜物ではないだろうか。ノラス氏の演奏も何度か接したが今年春のエルガーは染み入る演奏であった。若手ではマルコ イュレネンも素晴らしいと思う。オーケストラのチェロセクションの音の豊かさ美しさはどの団体にも共通している。
今年はまだまだフィンランドからのお客様が続く。
2003年6月12日