3月7日最初の演奏会の土地、チェルトナムに向かう。BBCのプロデューサーと尾高先生と車に同乗させていただいた。ほぼ1時間の道のり。前夜の雨の後 芝生の色が鮮やかで羊達もくっきりと浮かび上がって見えた。左車線というのはやはりリラックスする。現在車は所有していないが、運転はする。どうしても右車線の感覚にはなじめない。
チェルトナムの会場は街の中心の小さな公園の中にあった。そしてとても古く小ぶりな会場。ステージも狭く良くピアノが乗っかるな・・・という印象。壁や天井の装飾は趣がある。狭いステージなので当然管打楽器のひな壇は急勾配。しかし、音はとても良い。暖かく気持ちが良い。3時から2時間ほどのリハーサルを終え、軽食を外に取りに行く。ピザを頂いた。あいにく食べきれないという罪を犯してしまったが、周りの年配のお客様達は皆さんぺろりと平らげていらした。
7時半開演。聴衆はほとんどが年配のご夫婦。奥様のグループというのも見受けられた。ワグナーの豊かな響きもラフマニノフの神秘的な静けさの美しさも両方楽しめた前半。20分の休憩の間にステージ下からピアノを搬出する。作業を見ていたが面白かった。落下を防ぐため柵をまずステージ前に設置。ステージのセンターの一部が下がっていくが そのうちに前列のお客様が騒ぎ出した。下を指差して係員を呼ぶ。何事か・・・と思ったら、調律師がまだ調律の途中。作業をしていたらしい。そしてそのまませり上がってきた。音を確認しながらにこやかに手を振って登場の調律師の男性。ユニークであった。
そのピアノを奏でたのが フレデリック ケンプというまだ25歳の若者。尾高先生とは14歳の時にロンドンで共演をしているそうだ。ブラームスの2番の協奏曲。チェルトナムの会場では 少々ピアノの響きが止まってしまっていたか・・・でも爽やかで美しい音色の演奏だった。
翌日はスウォンジーに行く。私はここに宿泊をするので先に列車で移動した。カーディフ駅に着いたら予定の列車は「キャンセル」30分後の列車は「遅延」。駅で1時間ほど待ってスウォンジーまで55分の旅となった。正直なところフィンランドの車内に比べるとはるかに騒々しかった。雨のためどうしても暗い印象があったが、この地域は古い炭坑の後が残る。スウォンジーには港があり、交易の地としても発展してきたようだ。ホテルにまず入る。見事に繁華街の中にあり夜が心配になってきた。
マーケットなどを探索して徒歩で演奏会場に向かった。こちらは大きな公園の中にあり 少し行くと海。そのため風が強い。大きな広間という風情の演奏会場。昨日の二倍は集客できるスペースであろうか。ステージも少し余裕があった。4時からのリハーサル。昨日よりも格段に響きが良い。実に豊かに膨らむ。BBCウェールズ響はここでよく録音をするそうだ。放送局のスタジオ録音意外はほとんどここを使うという。納得である。休憩時間ロビーを見学。炭坑の歴史が写真となって貼られてあった。これである。ここの中にクローニンが描いた時代が、描いた人間がいる。しばらく見入ってしまった。
フルート奏者のともかさんと尾高先生とともに日本人三人で軽食を取りに出かけた。インド料理だった。なぜか3軒も並んでいた。素晴らしく多種なメニューに目を回しながら注文したら面白い味のものに出会ってしまった。
2日目の響きはピアニストにはとても味方をしていたと感じた。格段に良い演奏になった。
ヒンデミットはこの日だけではもったいない。もっと聴きたかった。この日の聴衆も見事に年配者。中に一人リハーサルからもぐりこんでいた若者がいて、熱烈な拍手を送っていた。ヒンデミットへの共感を尾高先生は心配していらしたが、とても聴衆は喜んでいた。2日とも感じたことだが、音楽への集中度がとても高い聴衆だ。背中を見るとわかる。何をどう聞いているのか・・・はったりはきかない。真剣に味わって楽しもうと耳を傾けている。一緒に音楽をつくっている聴衆であると感じた。そしてよく曲を知っていると思った。ロンドンの聴衆は怖いよ、と言われるが ここの街も同じように厳しくかつ暖かいと思った。
終演後先生とはお別れ。カーディフに戻られ翌朝日本へ帰国なさるとのこと。私は翌日の夕方の便でフィンランドに戻る。ホテルに戻ったら心配が見事に当たっていた。ホテル内のイヴェントルームでロックコンサート。土曜日の夜である。仕方が無い・・・12時半にようやく静まったと思ったら その出演者かお客かがホテル廊下で大騒ぎ。しかしこちらも移動の疲労か・・いつの間にか夢の中。
9日朝9時過ぎにはホテルを出て コーチ(長距離バス)のセンターへ行く。10時25分発のヒースロー空港経由のバスに乗る。バスに大型荷物を積み込む担当の人にキャリーバックを渡そうとしたら、なんと行きのバスでチケットを読み間違えた乗務員ではないか!「あら!」という顔をお互いにしてしまった。同じバス会社なのでそれも当然かもしれない。カーディフを経由して一路ヒースロー空港に向かう。4時間ほどの旅となる。今度はしっかりと車窓風景を楽しんだ。
空港に近づくと隣席の年配の女性が携帯電話を取り出し話し出した・・フィンランド語を・・。思わず話し掛けてしまい、しばしお互いに自己紹介。持っている電話はNOKIAの同じ型のもの。この後空港ロビーでも再び出会ってしばらくおしゃべり。女性指揮者の衣装問題についてまで話すはめになってしまった。彼女の意見は「男性と違うものが良いのに・・」ということだった。「Aivan(確かに・・)」でも動きやすいのです。燕尾服(Frakki)は。彼女は私より遅い便だった。なかなかゲート案内が出ないで困ったが予定通りの時間に出発。帰路はすべて順調。深夜無事にラハティに到着。2時間の時差があってなかなか寝付けなかったが これでしばらく又フィンランド時間の中で生活が始まる。
ヨーロッパでの指揮者の仕事の様子や いろいろな体験談なども尾高先生からうかがうことができてなかなか有意義な旅であった。それにしても 日本国内での仕事ぶりと全く同じようになさる尾高先生。これは実は凄いことなのだと後で思った。自分の手で作り上げるということはこういうことなのだと思う。オーケストラはそれぞれ力も違い、性格も異なり、文化も違う。それでも自分の考えを伝え、コンタクトを取って仕上げていくという作業をどこでも同じようにできる力というのは、国際的に活躍する条件であろう。相性ということとは別の問題である。逆に言うと己の引出しが多くなければそれはできない。対応能力、処理能力の幅が広いほど様々な場所でいろいろなことができる。そうありたいものだ。
一つ心残りがあった。ウェールズ地方のワインが手に入らなかったこと。水が美味しいこの地方にはワインがある。何時の日か探しに来よう。
2003年3月9日